日本の教育を議論するときに、教育基本法に基づいてするか、あるいは「教育とはそもそも・・」ということで話を進めるかで大きく変わる.

教育基本法(目的)の第一条にはこのようにある。

「第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

平成18年の教育基本法の改訂でこのようになった。

この目的を素直に読むと、「個人としての人」が第一で、第二に「国家と社会の一員」としての日本人を目指し、「体も鍛えておく」ということになる。

どちらかというと、「理科や英語の力」もともかくながら、「人間として立派な日本人」を目的にするように読める.

さらに、第二条には「教育の目標」というのが平成18年にできた。それは次のようなものだ。

「第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」

これだけ長くなると、多くの人が理解して教育を実施し、議論するのが難しくなるが、法治国家の一員として、また、子供が右往左往することなく落ち着いて教育を受けられるように大人はよく理解し、議論しておかなければならないだろう.

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まず、求められていることを羅列する。

学問の自由をもとにして・・・・

知識・教養、真理を求める態度、情操、道徳心、健康、価値の尊重、創造性、自主・自立、職業・生活、勤労、正義・責任、男女平等、自他敬愛・協力、公共・社会に参画・発展に寄与、生命・自然・環境、伝統・文化、愛国心・郷土愛、他国の尊重・国際政治、平和・発展。

19項目だ。

教育を受ける方も辛い。高等学校全入時代だから、高校卒業までにこれらのことを習得しないと「教育基本法違反」になる? いや「達成するように行われる」だけだから、習得できなくてもかまわない.

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ここで少し急だけれど、核心に迫りたい.

「ゆとり教育で学力が低下した」のは教育として問題か?

教育の目標として最初に「知識・教育」があげてあるので、19項目の目標の内、比較的、重要であるとされているのは分かるが、「学校は学力だけ」ではないことも同時に誰もが認めるだろう.

どこの国に学力で負けたということはこの目標の一部にしか関係が無い。

法治国家で、あまり大きな国民の反対がなく、教育基本法の改正がなされてすぐなのだから、せめて「一回ぐらいは教育基本法を守ろう」ということを国民は決意したらどうだろうか?

その上で、この19項目の内、現代の子供が不足がちなものとして、私が感じるのは(やや主観的になるが)・・・

真理を求める態度、価値の尊重、自主・自立、正義・責任

の4項目ぐらいだろうと思う.世界的に見て日本人の知識・教養はそれほど低くない.

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「利権があるから、材料は使っても劣化しないと言うことにして、リサイクルを教育する」などは真理を求めていない.

「利権があるから、北極の氷が融けて海水面が上がると、学問に反することを教育する」のも真理を求めていない.

「問題をよく解ける生徒が偉いので点数を高くして、解けない生徒は点数が低い」という採点方法は、「価値の尊重」に反する.

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また、必要とされる項目の内、「真理」というのはハッキリしているが、「価値」はそれほどハッキリしていない.でも、次のように定義すれが「価値」に対して多くの人が同意するだろう.

「人間の価値は、その人の能力にあるのではなく、人間として存在することそのものにある」

「人間のうち、優秀像を10%とすると、他の90%も優秀像と同じ日本人としての価値を持つ」

私はこの2つの原則を是(ぜ、同意)としていて、それを具体的にどのように教育で実施するかに苦心惨憺してきた。

試験をしてその正答率で成績をつけるのは、この原則に反する。成績は「その生徒が勉強し始める前に比べて、どの程度、向上したか」でつける必要がある。私は教育基本法をそう解釈した。

つまり、日本人は誰もが「教育を受ける権利」を有しているが、それには異論がない。そして、「優秀な人間はそれだけ価値が高い」とは思わないし、法律にもそうは書いていない.

だから、優秀でもそうでなくてもすべての子供たちは、その子供たちの力を伸ばすのが教育だ.「伸ばす」ということは「他人との比較」ではなく、「学問のレベルを教師が勝手に作って、それを覚えないとペナルティーを課す」というのでもなく、「その子供が伸びれば良い」ということだ。

それは19項目全てについてであり、「知識・教養」だけではない。でも、今の多くの学校、大学での採点は、「学問的知識」を問う問題を出し、それの正答率でその生徒の「教育の達成度」を評価している。まったくの法律違反と私には思われる.

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多くの教育人、評論家、マスコミの教育論調を見てみると、「法律に書いていない裏の事情」があると感じられる.

それは次の2つだ。

1.   日本人は叱咤激励しないとサボる。

2.   優れた人は日本の宝である。

私は少し考えが違う.日本には不思議なことに太古の昔から「天皇」がおられ、そのもとで「全ての国民は同じ」という確信が生まれ、その結果、世界でもまれに見る「平等社会、共同体国家」が作り出されたと考えている.

これは「歴史的事実」であり、「歴史的事実」は私個人の考えや思想とは独立である.

私が「日本には天皇がおられたから、このように良い国になった」と発言すると、「武田は天皇制に賛成するのか」とか、「太平洋戦争の反省がないのか!」とお叱りを受けるが、「賛成」とか「反省」というのは「事実」とは関係がない。

また、もし「太平洋戦争は、天皇制を利用して悪い陸軍が戦争に引きずり込んだ」と言うのが正しいとしても(私はそうは思っていないが)、だから「天皇制が悪い」というのは非論理的である。

もし悪いとしたら「悪い陸軍」であって、「天皇制」は「利用されやすかった」ということをどのように考えるかである。

私は日本が「天皇―臣民」という2階級で運営してきた故に、

1.   日本人は叱咤激励しなくてもサボらない、

2.   日本人そのものが宝であり、どちらかというと優れた人は劣る。

と考えている.

ご批判はあるかも知れない.でも私はそのように考え、教育基本法(特に改正前の教育基本法)と教育勅語を支持している。

(参考)改正前の教育基本法の第一条

「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

教育が目的とすべき項目は7つ。

1.   人格の完成、

2.   平和的な国家と社会の形成者、

3.   真理と正義を愛し、

4.   個人の価値を尊び、

5.   勤労と責任を重んじ、

6.   自主的精神に充ちた、

7.   心身ともに健康な国民。

教育勅語ほど明確ではないが、ハッキリとした日本の目標が示されている名文だ.

(平成22727日 執筆)