数年前、私は著書に次のように書いた。

「温暖化が起こるかどうか分からない。原因はCO2かどうかわからない。でも、日本人はCO2を減らすことはできない。

だから、「日本の」温暖化対策とはCO2を減らすのではなく、温暖化やその他の原因で将来、起こることで「日本ができること」をするのが政策というものだ。

簡単に言うと、

「台風を止めるのでなく、窓に釘を打つのだ」」

この指摘に反応したマスコミもあった。そのマスコミだけを見ていたら、もしかすると今度の豪雨被害も少しは小さかったかも知れない。

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人間は万能ではない。自分で何でもできるわけではない。

でも、来るべき被害を最小限にすることはできる。台風が日本に来るのが間違っていると言っても、そんなことは意味がない。

台風を止めることはできなくても、窓に釘を打って家族を守ることはできるのだ。

気象が異常になったのか、我々の生活が脆弱になったのか、それとも安全に対する感度が高くなったのか分からないが、気象による被害が私たちの関心を呼ぶようになったのは確かである。

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1957年7月25日、梅雨の終わりには諫早豪雨で、1700名が犠牲になった。

1959年9月26日の伊勢湾台風では5100名が無くなった。

1999年7月23日、諫早市は2度目の大雨(1時間に100ミリ以上)にみまわれて、被害が大きかったが、それでも対策が実を結んで死者は1名だった。

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2010年の豪雨被害も悲惨だったが、諫早の1700名も、伊勢湾の5100人も悲惨だ。このような被害をできるだけ止めなければならない。

日本列島は梅雨もあるし、台風も来る。それが気象の変動で少し激しくなろうと、それはあまり本質的なことではない。

政府やNHKは「気象が変動するからCO2を減らせ」と連呼しているが、このことが大きな間違いを生んできた。

当然のことだが、「温暖化とは関係なく豪雨や台風で数1000人が犠牲になっている」という現実を直視するのだ。

CO2を減らすために意味のない「レジ袋追放」などをしても、豪雨や台風の被害が食い止められるのではない。もっと現実的な対策を採らなければならないのだ。

京都議定書から13年。「温暖化防止」に注いだと同じ程度の努力を、豪雨、台風に備えたら、2010年の豪雨災害は、もっともっと防げたはずだ。

ご遺族の方は訴訟をするべきだし、自治体の首長は「災害防止をサボって温暖化防止などをしていた」ことをわびなければならない。

CO2の削減は、アメリカと中国で半分だしている現状では、日本で気象変動で犠牲になる人たちの運命が「アメリカと中国の指導者に任せてきた」ということになる。

つまり、CO2削減はアメリカと中国の問題で日本人には手が出ない。それなのに政府やNHKは「レジ袋追放」とか「ペットボトルのふた」などをやっていて、さっぱり「環境による被害を少しでも少なくしよう」という努力をしないのはなぜだろうか?

NHKは2009年に温暖化防止キャンペーンをして「明日のエコでは間に合わない」などとトンチンカンな広告を流していたが、間に合わないのはエコではなく、災害対策なのだ。

私はNHKを一刻も早く無くさないと日本は悲惨なことになると思うが、今回も間接的ではあるが、NHKの殺人のようなものだ。多くの人の関心をCO2(台風を止める)方に持って行き、対策(窓に釘を打つ)ことを忘れさせたのだから

環境省や政治家、自治体の首長や役人は豪雨で死んでいく人を見て、心からかわいそうに思い、それが自分の政策の失敗ではないかと心が痛まないのだろうか。

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原因は「事実を見ない」ことによる。

「温暖化」でも「都市の脆弱さ」でも、あるいは「住宅地の拡大」にしても、毎年起こる気象災害を小さくすることが、気象関係ではもっとも大切だ。

まず、このことは今度の豪雨で分かったと思う。

日本は、CO2の削減をやめて、温暖化で起こりうる具体的な災害を想定し、その対策を採るべきだ。私は「CO2による温暖化」だけではひどい被害は起こらないと思うが、太陽活動、都市化と一緒になった気候変動には備えておく必要があると考えている。

「台風を止めることができないが、被害を最小限にすることはできる」。それが犠牲になった人の叫びだろう。

(平成22717日 執筆)