自分の先入観を捨てて、事実を見つめるのは意外に難しいことです。
このことは進化論を著したダーウィンが「勇気を持たなければ事実を見ることができない」と言っていることでもわかります。
さて、「温暖化」という問題は「科学的」なものであると思っている人は、日本人100人の中で99人といったところでしょう。
でも、冷静に次の経過を見てみたいと思います。
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1980年代 それまで学会の主流だった「寒冷化」の予想の他に新学派として「温暖化ガスによる温暖化」が議論されだした。
1988年 アメリカのハンセン博士が、アメリカ上院の公聴会で「地球は温暖化し、その原因はCO2で、2010年までに世界の平均気温は0.8℃上がる」と証言した(事実はほとんど上がっていない)。 この年、アメリカの気候が不順でトウモロコシなどが不作だったこと、ハンセン博士を証言させた黒幕がマスメディアだったことから、大騒ぎになった。温暖化騒動は「農業とマスコミ」が始めた。
1990年前半 アメリカはトウモロコシなどの農作物が増産に転じたので、温暖化に興味を失って動きは鈍くなった。
ヨーロッパはアメリカの騒ぎを取り込み、ドイツはEU統一の材料として、イギリスは排出権市場の活用として動き出した。これまでの歴史からみて、ヨーロッパがアジア、アフリカなどの国のために自分を犠牲にすることは考えにくい。
1990年代後半 日本は「世界(アメリカとヨーロッパのことを日本では世界という)が温暖化と言い出したので、それに遅れないように」ということで、活動を開始した。京都議定書まで日本で「批判を含めた温暖化の科学的議論」などはなかった。
1997年 京都会議で方向性が決まった。だたし、日本以外はCO2の実質的削減には踏み切らなかった。
2001年 日本が温暖化の研究に力を入れ始める(国立環境研究所で特別重点研究に指定)。
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意外なことに気がつきます。
これほど温暖化の研究が行われているのに、1988年のハンセン博士のアメリカ議会の証言だけが「科学的動き」で、しかも、その予測計算は間違っていたということが分かります。
そして、その後、科学の世界では通常に行われる「批判と発展」という段階を一度も踏まずに、すぐ政治課題になったことがよく分かります。
つまり、温暖化は「間違った科学的計算がもとになって起こった問題」のようなのです。
その後、IPCCができました。普通はIPCCが「学術団体」と錯覚されています。
確かにIPCCは見かけ上、学術的検討をしていますが、学問の世界は「自由参加、批判、費用は自分持ち」が原則で、IPCCは全部、違います。
だからIPCCは政府から指名された御用学者が集まった「御用機関」であっても、「学術機関」ではないことも明らかです。
だからIPCCは「温暖化する、CO2が原因、温暖化は危ない」という結論以外は出せないという縛りがあるのです。
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ところで、ハンセン博士の計算は、すでに2010年になったので、はっきりと間違っていたことが分かっていますが、奇妙なことに、その後に追従して計算した人がハンセン博士の計算を否定していないことに興味があります。
つまり、科学ですから計算は徐々に精密になってくるのですが、ハンセン博士が証言した結果と違う結果がでてくるはずです。
事実は事実ですから明確です。
1988年から1998年の10年間は少し気温が上がったのですが(0.1℃ぐらい)、1999年から12年間はほとんど気温が上がっていません。
だから、すでにハンセン博士の「22年間で0.8℃」という予想との間に大きな違いがあります。
地球全体のことですから、1,2年の変化は無視できますが、さすが22年にもなると、ハッキリした傾向が出るはずです。
また、もしハンセン博士の計算とは違うが、同じような結果が出ている場合、ハンセン博士の計算のどこが間違っていて、新しい計算はなにが正しいのかを明確に説明しなければ納得しないのも科学の世界です。
ところが、それらはすべて割愛されています。
その理由は「温暖化で税金をもらって研究している人(東大や環境研)などは、「お金をもらうために研究している」からで、「研究(事実)のためにお金をもらう」のではないからです。
また、科学の衣を着た宗教団体(思想としての温暖化)、任意団体の衣を着た税金要求団体も同じ動きをしています。
事実には関心がないようです。
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情けなくなったり、人間だから仕方がないのかなと思ったりします。なにしろ「役に立つ研究」ということが言われて以来、「温暖化の脅威を示す」という研究以外にお金が出ないばかりか、憲法第23条にもとづいて学問として温暖化を批判すると、政府機関やマスコミから罵倒されるのですから、変な世の中になったものです。
日本にはこれほど「心ある、真実を求める学者」は少ないのでしょうか?
(平成22年7月16日 執筆)