日本の伝統的スポーツ、大相撲が、日本の伝統的社会現象の一つ「賭博」で揺れているのは残念だ。

花札でお金をかけていたといわれる横綱白鵬にしてみれば、日本に来て相撲界に入ったら、諸先輩がお金をかけて花札をしている。

そんなことはNHKの取材班も新聞記者も知っているのに、報道もされない。「ああ、これが日本の文化か」と思っただろう。

もしかすると、うすうす「お金をかけるのは悪いのかな」と思ったとしても、「日本というのはあまり派手にやらなければ、悪いことが良いことに代わるという考え方なのだな」と思うのが当然だ。

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かく言う私も、20年前まではゴルフ場で数1000円のお金をかけて遊んでいるのをよく見かけたし、関西のゴルフ場に行くと机の上に数万円が飛び交っていたのを見ている。

でも、私もそれを傍観し、すぐ110番に連絡することもしなかった。テレビで謝る力士を見ると反省しきりである。

当時から法律が変わったわけではない。ただ、警察が「うるさく」なっただけだが、警察がうるさくなると市民の態度が豹変し、「お金をかけるのはいけないことだ!」と叫ぶようでは警察指導の国家のようだ。

警察がうるさくなくてもうるさくても、自分の倫理観に従ってお金をかけないなら賭けないというのが「立派な市民」だろう。

立派でもない市民がテレビで大相撲を批判しているのを見て、どうも釈然としない。批判するなら立派な人に限る。

また、政府がなにも声明を出さないのも不思議だ。法律はあっても取り締まらない時代が長かったのだから、取り締まりを開始するなら「これまで、なぜ取り締まらなかったのか。これからなぜ取り締まるのか」を説明する必要がある。

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ところで、その国の文化や社会的風土というのは、法律でどの程度、変更できるのだろうか?

「賭博」についての日本の社会風土としては、次のようなことだったと思う。

1)   本格的な賭場は、公営化、アウトローに限る、

2)   その代わりアウトローは「渡世人」だから、民間とは別の社会にいる、

3)   民間は「その人の生活に関係ないぐらいの少額ならお金を賭けるのは楽しみの一つとして認める」という基準を守る、

4)   時々、賭で生活が破綻する人もいたが、それはそれで認める、

ということだろう。

競馬競輪やサッカー籤、宝くじのような公営ギャンブルは存在する。パチンコは微妙で公営化ともいえないので、賭場だろう。

渡世人は指定暴力団となり、民間と区別ができなくなっている。今では別の世界の人のようには感じられない。

庶民の楽しみとしての「賭け」は禁止されつつある。なぜ、禁止されなければならないのか、あまりハッキリした説明はない。

社会的には、お酒、たばこ、大麻、賭けなどの「若干、不都合なこと」があると、たとえばお酒では、アル中、酔っぱらい運転などが発生する。

おそらく、このような「やや反社会的」なことで、社会がもっとも大きな被害を受けているのはお酒だろう。それは多くの人の楽しみとの天秤にかけて、脱落した人は救済するという考えだ。

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私は昔から、大相撲の興業にアウトローの人が関係しているだろうと、思っていた。具体的な証拠は知らなかったが、興業にはアウトローがつきものだったし、タニマチというのも怪しげなものだ。そして、誰彼の何かは暴力団の関係者だというような話はいくらでも聞いていた。

だから、相撲を何10年と取材していたNHKは、当然知っていて、新聞記者も力士が花札で賭けていることを知っていて、記事にもしなかった。つまり「正しいとして認めていた」のだろう。

NHKはいつ、「大相撲での賭博はいけないことだ」という基準に変えたのだろう。それをまずは報道しなければならない。

私はNHKのやらせ番組が嫌いだが、大相撲をここまでダメにしたのもNHKだろう。つまりNHKが大相撲の賭博体質、暴力団とのつながりを報道しなかったことが「これでよいのだ」という雰囲気を育て、今回のことになったと思う。

この際、相撲ばかりではなく、私たちも反省して、「賭け」を日本社会に残すのか、止めるのかを考える良い機会だ。

私の今の考えは「個別に良いと思われること(賭の全廃)を続けると、全体(人生)としては味気ないものになる」という「合成の誤謬」をとって、「中庸な解決策」を模索するのが知恵というものだと思っている。

(平成2274日 執筆)