その人の性格と食べ物の好き嫌いに関係があると言われている。たとえば、肉が好きな人は攻撃的だとか、豆腐料理を好むのは静かな性格・・・などというものだ。

攻撃的な性質だから肉が好きなのか、肉を食べると体温があがり、その結果として攻撃的になるのか、どちらが卵でどちらが鶏かはわからないが。

ところで、長い間、料理屋を営んでいると、自然と「ああ、あのお客さんは・・・だから、焼き魚が好きなんだな」というようについつい分類してしまう。

割合、さっぱりした性質の人は、焼き魚好きが多く、なんでも人に合わせて相づちを打つタイプは煮魚を注文し、パッと行動する人は刺身が好きと言う。

本当かな?と思うけれど、そう思って人の注文するものを見ているのもなかなか楽しいものだ。

手相(手の甲)や顔相を見るのも同じだが、人をただボンヤリと見ているよりも、おもしろいように思える。

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食べ物と性格を調査した例もある。

女子大生170名ほどの調査で、性格は標準的な性格判断のツールで「積極的」と「引っ込み思案」に分け、好みの食べ物との関係を見る。

そうすると、明るく積極的な女子学生は、自分の好みより「何でも食べてみよう」という気持ちが強く、すぐ順応して新しい食べものも好きになる。

反対に引っ込み思案の女子学生は、慎重で今まで経験している標準的なものを好むと言う。

たしかにわかるような気もするし、たった170名ほどの調査で踏み込んだことまでわかるのかという疑問もわく。

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性格と食事の好み・・・こんな軽い話題を書きたくなったのは、この頃、「生活の潤い」がさっぱり感じられなくなってきたからだ。

携帯電話とメールを使った生活はせちがらい。

少し前までは会社(今の私は大学だが)を5時にでれば、仕事とはそれで終わりだった。私生活に仕事が持ち込まれるのは、それほどイヤではなかったが、それでも退社が一つの区切りにはなった。

ところが携帯電話とメールが発達すると、寝る5分ぐらい前まで連絡が入ってくる。それもイヤではないが、なんとなくせちがらい。

1990年にバブルが崩壊して、日本人の多くは「衣食住」にはそれほど困らなくなったが、その代わりにやることもなくなってしまった。

情緒のあった町並みも合理的なデザインに変わり、新幹線網が発達して郷里もそれほど遠いものではなくなった。

そんな影響かも知れないが、歌謡曲も大衆小説もジュリアナ文化も後退して、ただまじめに働き、通勤し、食べて寝るだけの味気ない生活に追いやられつつあるように思える。

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生活に潤いを与え、興味を感じ、感受性高く人生を送るには、いろいろな方法があるが、「食事と性格」とか「顔相と生まれ育ち」などのように身の回りのちょっとしたことを自分なりに整理したり、観察したりするのもおもしろいものだ。

そんなとき、「今まで言われていたこと」とか「常識」を少し疑って見ると、さらに奥が深くなるし、友達との酒の肴にもなる。

そんな話を最後に一つ・・・

私が痛風に苦労していた頃の話だ。

痛風は美食(伊勢エビ、ビール,牛肉)でなると言われて、好きなビールも控えたり、食事の制限をしていた。

ところが、ある時、痛風の専門医で治療30年の経験のある有名な医師と食事をしながら話をしていたら、そのお医者さんは、

「痛風は食事でなるのではないと私は思います。私の経験では性格ですね。とかく攻撃的な性格の人は食事に関係なく痛風になると思います」と言ったのだ。

今でもその時の話をよく覚えている。それは「ああ、ビールが飲めるのだな」と喜んだのではない。「痛風には食事療法」と信じ込んでいたことも、疑わなければならないのだなと思ったからだ。

なかなか人生は他愛ないけれど、面白い。

(平成2273日 執筆)