男女関係というのは奇妙である。

もともと他の生物との競争に打ち勝ち、DNAの劣化から子孫を守るために男女、つまりオスとメスの区別ができた。

メスという生物は「完備した性」であり、オスは「優れた子孫を残すための臨時の性」である。

両性が分かれた頃の生物を観測すると、「豊かで平穏な時にはオスはいらず、メスだけで子孫を作っていく(単性生殖)」のだが、「食糧不足になったり、危機が訪れるとセックスによって子供を作る(両性生殖)」という傾向がある。

人間で言えば、好きな相手がいなければ女性は自分一人で子供を産む。好きな相手に恵まれれば結婚して子供を作るという具合だ。

そして一人で生むと、自分とそっくりの子供ができるが、少しDNAが劣化しているので、どこか体の調子が悪い子供になる。

それも母親としては切ないだろう。

そうなると、一番良いのはメスが子供を産みたくなったら、「臨時」にオスを探して優れたDNAをもらうのが一番良い。これが一夫多妻制で、動物では結構、多い。

一夫多妻制というのはメスにとって望ましい結婚方式で、オスは悲惨である。たとえば10人の男性の内、9人は結婚できず、早く死ぬ(動物ではメスを得られないオスは死ぬ傾向が強い)。

ところがメスの方は相手が見つかる見つからないに関係なく、必ず子供をもてる。しかも、ややこしい結婚生活や夫の世話をしなくてもよい。とても良い制度だ。

人間でもある民族は、自分の妻の姉妹の夫が死ぬと、必ず引き取ってもともと一夫一妻でも、そのときだけは妻が2,3人いることがある。

これは、生物的な原理にかなっているし、具体的にも夫が早く死んだ女性も子供をもてるという利点がある。

現代の日本、戦争がなくなり、田畑は石油を使った耕耘機が動く時代である。「田の力」とかく男性不要の時代になった。

生活が厳しければ男性が要る。生活が楽になると男性は不要である。仕事というのは本来、やらなくてよければやらない方が良いものだから、男性は仕事をしなくなる。

そうなると、女性が仕事をして家事をして、子供を産む・・・完備した性を発揮し、男性はブラブラし出すだろう。女性にとっては辛い時代が到来しつつあるが、女性が働きたいというのだから、それは仕方がないことだ。

「男女均等」というのは「女性だけに負担がくる」ということを意味している。

(平成22630日 執筆)