「お金のための学問」がほとんどで「人智のための学問」はすっかり後退した。せっかく日本は「物が足る社会」になったのに、まだ「お金、お金」なのが情けない。

「地球の気温はどのように変わるのか」、「温暖化は恩恵か、脅威か」などはほとんど興味がない学者が多い。大きな学会や、まして政府よりの資金をもらっているシンポジウムなどで「温暖化の恩恵」などを口にしようものなら、つまみ出されるか、無視されるかどちらかだ。

そんなことより、とにかく「温暖化は脅威」と決めて、何をすればよいか、研究費がもらえるかが興味の中心なのである。

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原子力委員会の研究費分配委員会で「原子力発電がCO2を出さないというのは疑問だ」と再三、発言しても取り上げられない。

なぜ、取り上げられないかというと委員の半分は大学の先生だが、「原子力発電とCO2」などに興味のある人はいない。「原子力発電はCO2がでないということになっていて、研究費を増額するのに絶好の機会なのに何を言うか」という気分なのである。

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かつての東海地震騒ぎがそうだ。いろいろなグラフが出てきて、これから数年以内に必ず大地震が起こるといわれ、地震学者に膨大な研究資金が行った。

多くの日本人は純情だから、すでに40年前になるが、明日にでも地震が来ると本当に信じて、枕元に逃げる準備のものをおいたり、乾パンや缶詰を買った。

ずいぶん、儲かっただろう。

しばらくして、どうも地震が来ないようだということになると、今度は阪神淡路大震災の教訓ということで「耐震補強工事」が推薦され、また庶民はお金を取られた。

でも、40年前より今の方が東海地震の危険が迫っているはずだ。政府はほとんど警告をしない。詳細な地震情報も出さない。

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もともと政府などには期待しないが、学問は「真理を探究する」という目的を持つもので、「お金を呼び込む」ものではない。お金のために真理を知りたいという本来の目的は影を潜めるのだ。

温暖化の影響を知りたい、恩恵なのか、脅威なのか、

原発のことを知りたい、安全なのか、CO2を出すのか、

地震のことが知りたい、その後の観察結果はどうなっているのか、

でも、データはでない。

それは「学問が真理を探究する」目的を持たず、「お金を儲けるための手段」になったからだ。

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回復できるだろうか?

私の身の回りには学問の目的が真理の探究であると考えて、研究を続けている先生もいる。でも少数だ。

毎日、大学の雑務に追われ、講義は休講ができず、研究費の獲得に奔走し、政府の方針に逆らうと研究費はでない・・・こんな環境の中で疲れて大切な研究を放棄したり、妥協したりする先生が多い。

日本は繁栄している。大日本印刷の社長は7億円、どこかの重役は1億円と高額所得の商人が跋扈している。

お金と学問や文化、日本は今、学問と文化が不足しているのだから、せめて大学は「お金」を止めてゆっくりと大切なことの真理を探究する国になって欲しい。

私たち、今の日本に不足しているのは子供でも、お金でもない。どうしたら幸福に生きることができるか、そのための学問と文化が必要なのだ。

でも一つ、心配がある。もうすでに「真理を探究しよう」という人が少ない。だから多くの人が何かをすると「目的」を聞きたがる。

私の目的は「真理」だけである.

そしてそれは学問ばかりではなく、報道でも旅行会社でも、その職務がもともと求めることではなく、すっかりアメリカ流マネーの世界に浸かってしまった。

日本の文化がまた花開き、世界の尊敬を集める国になるために「お金の目的」をすてておのおのが「人生の目的」を追求するような国に住みたいものだ。

(平成22629日 執筆)