衆議院議員時代の河村たかし名古屋市長は「党議拘束が強ければ議員になる必要は無い。議員になっても党の中央が決めたら、それに従うだけだから、選挙民に失礼だ」と言っておられた。

つまり、国民が議員を選ぶという今の日本の制度は,その選挙区の国民が全員、国政に参加することができないから、自分たちの代表としての議員を選出するということだ。

だから、議員の第一は「選挙区の国民を代表する」という事であり、それは「自民党とか民主党」という事ではない。

また、「党を選ぶか人を選ぶか」と選挙の時に言われる。このことは議員が「党の議員」であるとともに,「独立した政治家」であることを示している。

ところが、鳩山政権から菅首相に代わる政変で、民主党の議員の顔は全く見えなかった。

また、鳩山首相が退陣した主たる理由は「日本のためにならないから」ではなく、「参議院の民主党議員が当選しないから」ということだ。そして「選挙に勝つために選挙の時だけの公約」を掲げる。

そうなると、民主党という政党は「職業としての議員」に当選するためにある集団ということになる。

「議員の職業化」は言われて久しい。河村名古屋市長も「日本の民主主義を危うくさせているのは、議員の職業化だ。議員が世襲するということはいかに議員の待遇が良いかということを示している」と言われていた。

つまり何の政治的理念も持たず、政治に興味も無く、ただ「議員という職業は年間数1000万円をもらえるし、利権もあり、先生と言われて威張ることができる」という高級職業として就職するだけのことだ。

菅首相も鳩山政権の中枢だった。そして他の民主党議員も鳩山政権の運営に黙っていて、突然の変身だ。

そしてその理由が「自分が当選するのに鳩山首相は邪魔だ」ということだから、「民主党」を廃止した方が良い。

国民は選挙の時,なぜ「人の名前」を書くのだろうか? 私は抵抗がある。どんな人に投票しても,その人の主義主張を殺して、党の決定に従うなら、「党の代表か執行部をだけを決めて、選挙では国民はどこかの党に投票する」という事にして、議員は全廃した方が良い。

さらに、今回の政変劇を冷静にみていると,いわゆるテレビ討論というのが全く無意味であることが判る。テレビ討論で議論されていることは、何の言い訳も無く、簡単に覆ってしまうからである。

鳩山首相が止める前日まで、鳩山首相が正しいと言っていた。それが翌日に変わる。これは組織の人間であることを示していて、本人の意志も倫理も信念も無いのだ。

選挙に勝つために「党が一体となって選挙用の政策」を持つ政党には投票できない。民主党は内部の議論すら国民から見えなかった。

「己れ在って国家無し」の議員を落選させること、それが国民の眼力だろう。

(平成22619日 執筆)