出版前のマンガを掲載したとか、You tubeに著作権違反の動画が掲載されているなど著作権のニュースが多い。

著作権とは「権利」だろうか? また「犯してはならないほどの権利」だろうか?

報道を見ていると、著作権の存在を当然のように考え、その上で「著作権に違反するとは何事だ」という議論に終始している。

そこには「日本の知性」が感じられない。

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著作権、特許権のような人間の頭脳が生み出すものに対する権利(知的所有権)はそれほど歴史のあるものではない。

社会の高度化,印刷技術などが成熟してきた19世紀にできたと言っても良い。もちろん萌芽的なものはもっと早いが、「世界の多くの国で認められてきた」という点では19世紀の終わり、今から130年ほど前と言って良いだろう。

だから、「人間固有の権利」などという大げさなものではなく,「成熟した現代社会を上手く運営していくための規則」ぐらいである。

なぜ、知的な産物に権利を認めなければならないか?

初期の議論を見ると、「人々が創作意欲を持つことができるように」というのが一番だ。

つまり、作家,作曲家、科学者などは「お金が欲しいから作品を作るはずである」という仮定がある。

いや、そうではない。お金が欲しいわけではないが、模造品を作られたり、勝手に悪用されたら困る・・・と言う人もいる。

でも、現在の著作権や特許権は「万能」だから、前者(お金)の論理だ。

つまり、もし模造品や悪用が問題なら、模造品を作ったり、悪用した時だけ罰すれば良いので、今,問題になっているように、すでに放送された番組をYou Tubeに上げただけで罰せされると言うことは無いからである。

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私も書籍の著作者だったり、特許の権利を持っていたりするが、どうも現在の著作権は、あまりに権利が広く、問題が多いと思う。

つまり、著作権を違反する人が悪いのではなく,著作権や特許権が拡大解釈されているということだ。

なぜ、拡大解釈されているかというと、著作権を持っている人の多くが「発信の力」を持っていて、違反する人は発信の力が弱い。

その典型的なものが「放送局や新聞社が著作権を主張する」という場合で、彼等は圧倒的な発進力を持っている。だから著作権に違反した人を徹底的に痛めつける。

そして裁判官もそれに流されて判決が厳しくなるということだ。

一個人が著作権違反をしたからといって、テレビが一個人を「法は守れ」とがんがんやる。もちろん、法は守らなければならないが、乱用もいけない。また法律は改正論議もいる。

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