すこし堅い話が続いて、書きたいことと違ってしまった。
実は、遠い昔におこった、「宇宙のはじまり」が「私たちの毎日の生活」にとても関係しているので、自分の頭を整理しながら書くつもりだったのだが、どうも、頭がまだ整理できていなかったらしい。
書き方が物理的というか、学問的になってしまった。難しくなる時は、いつも自分の頭が整理されていないときだ。
思い直してまた書き始めたい。
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宇宙のはじめに、「時間」と「空間」が誕生し、力が分離して「重力」や「電気」の力が生まれ、そして「水素」と「ヘリウム」という一番、最初の物質(元素)もこの世に登場した。
考えられないほどすごいことだ。何しろ「何もないところから時も場所も誕生した」のだから・・・・いや、これが危険なところだ。
私たちは、時間も空間もないということが想像できない。だからつい「何もないところから」と言ってしまうが、本当は「何かがあった」かも知れない。でも、私たちはそれを見ることも出来ないし、考えることもできないから、ただ「何もない」と言っているだけだ。
つまり、人間にとっては「本当は有ること」でも「自分で知り得ないものは無い」と思うところが可愛らしい。
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ところで、時間が前にだけ進み、後へは戻らないことは子供でも知っている。昨日は今日になり、今日は明日になるが、今日から昨日へは戻れない。
これは、宇宙の始まりの時に、時間が誕生して、「未来に向かって進む」ことが決まったからだ。つまり、毎日の生活で時間が戻らないのは宇宙のはじまりに直接、関係している。
もう一つ、宇宙のはじまりでは「空間」ができて、それがどんどん膨張している。膨張しているということは、何年前かにピンポン球のような大きさの球は、やがてバレーボールぐらいの大きさになることを意味している。
宇宙のはじめに空間が誕生して、最初は点のように小さかったのが、今では140億光年もの半径を持っている。
それが、日常生活では、次のような現象として出ているのだ。
水が蒸発する・・・食塩が水に溶ける・・・氷が融ける・・・ガラスが割れる・・・桜の花が散る・・・風呂の湯が冷える・・・着物が汚れる・・・においが広がる・・・山が崩れる・・・火山灰が飛び広がる・・・花粉が飛ぶ・・・ピラミッドが風化する・・・女の一生・・・お金がすぐになくなる・・・マラソンランナーがばらける・・・覆水盆に返らず・・・多極化時代・・・個性化が進む・・・宇宙進出・・・部屋が散らかる・・・・・・・・・
私も似たようなことを書いているが、この例はあるネットを参考にさせていただいたものだ。
つまり、私たちが普通に生活していて起こることは、
「宇宙が誕生したときから、宇宙が膨張しているので、地球上の私たちもそれに従わざるをえない」
ということだ。これらのことは「時間が戻らない」と同じように日常生活でもハッキリしている方向性である。
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さて、人間が「時間が過ぎる」というのに気がついたのは、おそらく人類が誕生してからすぐだろう。今日は昨日から来て、昨日に戻れないことは気がついたはずである。
でも、人間以外の動物は「時間が過ぎる」ということに気がついていない可能性もある。昨日は昨日、今日は今日で、昨日と今日の関係を知らないかも知れない。
そんな動物を笑うわけにはいかない。
人間が「宇宙が膨張しているから、時間ばかりでなく、その時に誕生した空間も元に戻らない」と気がついたのは、日本ではどうも鎌倉時代だ。
・・・祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず。唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。・・・
これは平家物語一節だが、「祇園精舎の鐘の声はゴーンとなるとどこかに行ってしまった再び戻らない。「諸行無常の響」があるいう。まさに、「空間が膨張している」ということだ。
近代科学がこれに気が付いたのは、今から160年前の1850年にドイツのクラウジウスが「エントロピー」を発見したときである。
つまり、宇宙が膨張していることは直接的には天文学が発見したのだが、「時間と空間」が膨張を続けていることは、地球上でも観測できたことがおもしろい。
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今では、時が過ぎ、空間が膨張している、という2つのことは当たり前になった。全ては諸行無常であり、決して「元に戻らない」。
(平成22年3月2日 執筆)