漆黒の闇から、宇宙は137億年前に誕生した。
突然、空間と時間が分離し、さらに力も分離して元素が生まれて、宇宙の中心から猛烈な速度で飛び散っていった。
その間、1秒も無かったと考えられている。
それでは、138億年前はどうだったのだろうか? 宇宙が137億年前にできたとなると、その1億年前には何があったのだろうか?
ある人がお釈迦様に聞く。
「何でもご存じのお釈迦様。宇宙は無限に拡がっているのでしょうか?」
・・・・・・・・・(お釈迦様は黙っておられた)
無限であるということがわかるのは、無限であることを確かめる必要がある。宇宙をどこまで言っても端が見つからないということでは「無限」とは言えない。
端が見つかれば有限だが、端が見つからなければ、その先に行かなければならないからだ。
つまり、ある人がお釈迦様に聞いても、お釈迦様がお答えにならなかったのは、質問自体が無意味だからだ。誰にも「無限」を確認することはできない。
それではということで、
「何でもご存じのお釈迦様。宇宙は有限でしょうか?」
と質問を変える。
・・・・・・・・・(お釈迦様は黙っておられた)
もし宇宙が有限なら、端にたってそこから槍を投げるとその槍はどうなるのだろうか? 壁があれば壁にぶつかって跳ね返ってくるだろう。そうすると壁があって槍が跳ね返るということは壁がある「厚み」がいるので、その厚みを確かめないと端を見たことにならない。
つまり、これも質問が無駄なのだ。
137億年前に時間と空間が分離して宇宙が始まる。「その前は・・・」という質問は、「時」がまだ誕生していないのだから、「前」ということ自体がない。
最初に「漆黒の闇」と書いたが、これも正しくない。闇があるためには「空間」が必要だが、空間がまだ誕生していない。だから「闇」もない。
やがてあきらかになるかも知れない。でも、今は137億年前に宇宙が出来たことしか判らない。
素晴らしい望遠鏡で宇宙を眺めると、ほとんど光の早さで飛び去っていく星(銀河)がある。その星の向こうは見えない。
我々の宇宙には「光より速いもの」はないからだ。地球と別の星が光の速度より速く遠ざかっていることはあるかも知れない。可能性は十分にあるが、その星からの光は地球に届かないから見えない。
かくして、地球から見ると宇宙は1つしかなく、その端は137億光年の彼方のように見える。でも、広い天体のどこを見ても殆ど同じような風景が拡がっているので、同じところを見ているのかも知れない。
そして、おそらく宇宙は一つではなく、何万、何億という見えない宇宙があるのだろう。
別の宇宙は我々からは見えないから、それが手の届くところにあるかも知れないし、150億光年より離れているのかも知れない。
東洋は宇宙を正しく認識していて、「人間の認識できたもの全部」という意味だから、宇宙が一つとか二つとかは言っていない。人間の限界を知り、自然中心の考え方だ。
でも、単数と複数を厳密に区別するヨーロッパの言語では、universe(ユニバース)と言って、uni、つまり「一つ」と考えていた。人間の能力は無限だという前提で、人間中心の考え方だ。
・・・・・・・・・
宇宙は我々が認識できる全てだから、「137億年前に誕生した」という表現は現在の知識ではまったく正しい。
認識できる境界は137億年前に誕生し、その前には「時」がなく「空間」もない。だから、宇宙が誕生する前というものじたいが無い。
(平成22年2月24日 執筆)