このところ、ことの軽重はあるけれど、考えさせられる事件が続く。

一つ目が、ゴルフ界の大スター、タイガーウッズの不倫、

二つ目が、鳩山首相のお母さんからもらった12億円、

三つ目が、オリンピック代表選手 国母君、

四つ目が、東京大学前総長 小宮山宏氏の憲法違反事件、

である。いずれも「個人」に属し、奥が深い。

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タイガーウッズは2010年2月19日に不倫事件の記者会見を行い、「苦労して大金持ちになった。そのお金を使って人生を楽しみたかった」と言った。

正直なコメントであると外電は伝えているが、事件そのものはあまりいただけない。愛人の数は10名を超えるとされる。

「苦労をしてゴルフの大スターになる」ということはどういうことだろうか?練習は厳しかったと思うし、ツアー中にもいくつも辛いことはあっただろう。そんな時に、「へこたれるな。そうすれば成功する!」と叫んで持ちこたえたこともあっただろう。

そんな苦しい思い出がタイガーの脳裏に浮かぶ。

一方、お金は貯まる、女性ファンは増える、名誉は得られる・・・このまま人生の最盛期を過ごして良いのだろうか?と彼は考える。キリスト教で言えばサタンが心の中に入ってきた瞬間である。

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わたしはこんなことを言うことがある。

「お金が手に入れば、病院と家庭裁判所に通わなければならない」

つまり、お金が手に入るのは良いことのように思うが、お酒におぼれて肝臓を悪くすることと、女性ができて離婚騒動になることを指している。それ以外に人間が「余分な」お金を使うことはできないと言っても過言ではない。

でも、この事件はもう少し本質的なことを言っている。

「人間という生物は目的を達成すること自体の中に破滅が含まれている存在」

ということだ。

人間が「張り切って正常に」その人生を送るためには「目的」がいる。ところが、その目的が完全に満足する形で終わったとき、それは彼に破滅をもたらすのだ。

この恐ろしい矛盾、恐ろしい真実を、タイガーの事件は見事に具現化した。そして、この矛盾はお釈迦様、イエス・キリストを含めて、まだ人間が解決できないことだ。

わたしはこの矛盾を「目的を持たないで行為に生き甲斐を見いだす」という方法で切り抜けてきた。

電車に乗るという目的で駅まで歩いてはいけない。駅の方向に散歩しているうちに駅に着く。

単位を取るために授業を受けてはいけない。授業にでて勉強しているうちに単位が取れてしまった。

彼女を心から愛していた。そして気が付いたら結婚していた。

もちろん、行為が結果を伴わ無いことがある。でも気にしない。結果が伴うとタイガーになるのだから。

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この事件はもう一つ、わたしに疑問を投げかけた。それは男女の関係である。

こちらの方はあまり哲学的には深くないので解決策もある。

わたしは「独立した人格としての女性」が好きだ。男と女には生活力、体力、知力、感情、粘りなどいろいろ違うところがある。それが人生を彩り、深みを増してくれる。

だから、男女平等などと言う必要は無い。もともと平等なのは当たり前であり、だからこそ男女の付き合いは楽しく、創造性がある。

でも、不倫問題が起こるたびに、なぜ男性が謝り、女性が堂々としているのか?と思う。タイガーが結婚していること、ある一線を越えた付き合いが不倫になることはつきあった女性が大人である限り、判っていただろう。だから、不倫が許されない社会では男女ともに罪がある。

多くの場合、男性が社会的地位があり、女性は普通の人ということもあるので、男性の名前だけ報道されるのはやむを得ないが、不倫が許されない社会では女性の方も堂々としていてはいけない。

少なくとも男性の妻は被害者だから、加害者としての言動は求められる。

でも、タイガーの記者会見の前日にテレビで放映された二人の「愛人」の態度を見ていると、これこそが男女平等を壊すものであり、それが女性側から主張されているのだから、男女平等がなかなか成立しないのもやむを得ないと思った。

不倫問題が起きたとき、男性と女性がともに加害者として社会に謝ることを求める報道があっても良いように思う。

なぜ、女性の権利を主張する人は苦言を呈さないのだろうか?

(平成22220日 執筆)