かつて、日本は戦後復興から高度成長へと順調に発展し、多くの人が家電製品を買い、ローンを組んで我が家を持ち、そして自動車を保有した。

かつて、ドイツは日本にわずかに先んじて優れた工業国となった。

かつて、イギリスは「イギリス病」で病み、サッチャー首相が登場して荒療治をした。

すべては「戦後」のことである。

そして、ここが肝心だが、日本とドイツは敗戦国であり、イギリスは戦勝国だ。

負ければ勝ち、勝てば負ける。

貧乏は金持ちであり、病気は健康、そして不幸は幸福だ。

人間の行く末には明確は道がある。それは「努力の先に破滅がある」ということだ。

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でも、人間は「改善」がなければ堕落する。それは人間の脳の構造から来るものだから、人間を止めなければ改善か堕落しかない。それ以外の「持続的平衡」なる状態は存在しない。

すでにそれは平家物語に詳しく書かれていて、ここで1000年前の著述を繰り返す必要は無いだろう。

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ところで、戦後、アメリカとヨーロッパに高度成長の見本があったときには、日本の政治家や官僚はアメリカやヨーロッパを見に行って国家の舵を切った。

そこに見本があるのだから、その通りをすればよい。その時には日本の「追従性」と「真面目さ」が力を発揮してみるみるうちにヨーロッパを抜いていったが、抜いてもやっていることはヨーロッパが目指した道だった。

そのうち、ヨーロッパの発展が止まり、「環境」になると、ヨーロッパと日本ではもともと「環境」自体が違うのに、同じようにやろうとしてこの20年を無為に過ごしてきた。

ヨーロッパの環境問題はバルト海や北海のような閉鎖的な海域に対しての環境問題であり、日本のようにオープンな海域に接している国はヨーロッパでも問題にはなっていない。

でも、ヨーロッパの通りにするという日本の慣性力はとまらず、全く異なる環境の中で同じ目標と行動をとった。

アメリカは少し違う道を歩いているが、基本的には同じだ。

さあ、これからどうする?

日本にはお手本はない。アメリカはすでに中身のない借金王国になってドルだけを印刷している。

ヨーロッパにも近々、第二の金融崩壊が来るだろう。すでに日本の未来の見本は失われている。

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日本にとって、その方が良いかも知れない。明治維新以来、日本は「未来の見本」があって、それを模倣してきた。その過程で一つ一つのことを考えずに「ヨーロッパがやっているから正しい」という論理より良いかも知れない。

わたしの尊敬する先輩にドイツに留学していた方がおられ、その方からずいぶん教えを受けたので、ドイツのことを悪くは言いたくないのだが、環境関係でも「どうして、その方法が良いのですか?」と聞くと、「ドイツがやっているから」という答えが多かった。

他の国がやっていることを参考にすることは大切なことだが、だからそれが正しいという証明にはならないのではないかと思う。

だから、今、私たち日本の大人は「未来の見本の無い中で、自分たちが考えなければならない時期」にさしかかっているように感じる。

「環境」を考えても良いけれど、日本の「環境」には何も問題は無い。

「資源」を考えても良いけれど、もともと資源(工業資源)のない日本は考えても有効な手を打つことはできない。

そんな中で、子供たちには毎日のように「縮みなさい、それがよい子よ」と教え続けている。

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わたしは未来の作り方は、子供たちに明るい未来を示して、自由に活動が出来るようにすることだろうという考えだ。この場合の「自由」とは、「なんでもして良い」ということではなく、「秩序の中で共通の目的に対して歩む自由」である。

150年ぶりに考えることなので、かなり難しいけれど大人の責任だと思う。

(平成22218日 執筆)