「正しい」ということを勘違いして不幸な会社生活を送る人が多いように思います。

この前、「親子げんかの秘密」というのを書きましたが、今度は「なぜ、上司と意見が食い違うか」ということについて考えてみたいと思います。

「正しい」というのは「自分が正しい」と決めることはできないと言いました。自分と他人の考えが違っている時に、自分が正しいとすると、相手が間違っていることになり、相手が正しいとすれば自分が間違っていることになり、これはケリがつきません。

結局、正しいかどうかは、神様、偉人、法律などで決めてもらわなければならないということになります。

でも、日常的には次々と処理しなければならない問題があり、それをいちいち、神様に聞いたりすることはできませんし、会社での仕事の細かい作業が法律で定まっている訳ではありません。

そこで、日常的には、「役割を決めて、仮の正しさを決める」ということになります。

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仮の正しさとは「本当に正しいか」は問わずに、とりあえず意見の調整方法を定めたものです。

日常的なことについて仮の正しさを決めるものとして、

1)  親と子供(子供が18歳以下に限る)

2)  先生と生徒(学校内にほぼ限る)

3)  上司と部下(会社内に限る)

4)  監督と選手(試合と練習中に限る)

などがあります。TPOが限定されているというのも特徴的です。

たとえば、先生は学生の試験答案を採点しますが、とうてい「正しい採点」などできません。特に科学は500年前と今ではまったく正解が違い、今の100点は500年前の0点と言っても良いでしょう。

さらに、大学では60点以上が合格、それ未満が落第です。ある学生の答案を採点したら58点ということもあり、その答案をしげしげと見ても、それが61点なのか、58点なのかわからないのが現実です。

学生にとってその単位が運命的なこともあります。私が採点した科目を落として一年、卒業が伸び、その結果、就職先も失ってしまうことすらあるのです。

そうかといって、58点を理由無く61点にすることもできません。もし一人の学生に3点加点したら、そのほかのすべての学生も加点しなければならないからです。

奨学金などの多くの場面で、それぞれの学生がその成績を問われます。そしてそれは「相対的な点数」、つまりは他の学生との比較だからです。

かくして、先生は「正しい採点」はできないのですが、「役割としての採点」は可能です。自分の力をフルに発揮して、できるだけ「正しいと思われる採点」なら可能だからです。

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野球の監督と選手はどうでしょうか?

ある野球の監督が「もう変えなければならないな」と思ってエースの交代を告げるとします。その時に、そのエースが次の打者に打たれるか、またはそのままノーヒットノーランを続けるか、神ならぬ身では誰もがわかりません。

もし監督がいなければ選手全員に聞き、スタンドにいるファンに聞き、テレビの前の人、球団のメンバーなどに聞いて回ることになります。

それでも、そのピッチャーが次の打者に打たれるかどうかはわからないのです。

そこで、監督が「役割としてエースを交代させる」ということを決めるのです。

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会社にはなぜ上司がいるかというと、部下と意見が合わないことが最初から予想されているからです。もし、すべてのことで上司と部下の意見があえば、二人とも同じ地位でも行動には差し障りが無いのですが、人間だから絶対にそういうことはあり得ません。

そこで「意見が違うときには上司の考えを仮に正しいとする」というのをシステムにしたのが会社の上司関係です。

だから、良く酒場で上司のグチを言っているのを聞くと、なんとなく可哀想になります。グチをいう気持ちはわかりますが、もしグチを言わないような上司なら、もともと上司として意味が無いとも言えるのです。

もし、会社の上司が困るとすると、それは「意見が違う」ことではなく、上司が「本当に自分が正しい」と錯覚しているときでしょう。

上司が決めることは「本当に正しい」のではなく、「役割として仮の正しさを決めた」と言うことに過ぎないからです。

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これと似た種類の錯覚に市役所が「市民はバカだ」という政策をとる例があります。

もともと、市民と市議会議員、市民と市役所の関係は、市民が上司で、市議会議員や市役所が部下なのですが、なかなか現実がそうなっている例はありません。

最近、ある市で市議会と市役所が「レジ袋の追放運動をしたが、市民の環境意識が低く、浸透しないので、強制的に追放する条例を作る」と言い出しました。

これにはビックリしたものです。市議会と市役所の上司は市民ですから、市民がわかっていてやらないことを、市議会や市役所が強制することはできないのですが、普段から威張っているので、錯覚しているのでしょう。

名古屋市も、市議会議員の報酬が年俸で2400万円もあるので、8年もやれば約2億円が手に入ります。

名古屋市民で2億円の収入がある人はほんの一握りです。つまり、いつの間にか名古屋市議会議員は「上司より収入が多い部下」になり、ついつい威張るということになります。

その意味では、上司の方が部下より少しでも給与が高いということも全体の納得性を持たせるためには大切でしょう。

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会社の上司とうまくいかずにイライラしているサラリーマンが多いと思いますが、上司と意見が合わないのは当然で、そのために上司がいること、もしその上司が「自分の決めているのは、仮の正しさ」であることを知らなければ、職場を変わるしかないと思います。

(平成211213日 執筆)