もしかすると軽度身体障害者なのかも知れない。幼い頃からあまり頑健な体ではなく、腹部を中心として4回も手術をしたり、長期に欠勤させてもらったりした人生だった。

手術室のベッドに横たわったときに、自分の視界に何が入るか、手術が近づくと医師や看護師はどのように動くかもよく知っている。まあ、手術をうけるベテランというところだろう。

そんなわけだから、自分の体には自信がない。腹部だけではなく目も弱く、高等学校の頃にはすでに近眼が進んで0.1も無かったように記憶している。視力検査で一番上の大きな字も読めなかった。

生来、前向きでな性格ではあるが、こと体に関しては弱気になることがある。

その後、一度、右目を失明して4時間の大手術を受けた割には、目は急激に悪くなるわけではなく、何とか本を読んだり、パソコンを打ったりはできて、感謝していた。

それでも「寄る年波」で、少しずつ見にくくなってきたし、なにか細かい字は「ボケ」て来たので、これも仕方がないとあきらめていた。あまりに細かい字の本やインターネットの場合は、スキャナーで読み込んで拡大して読んだり、インターネットではコピーアンドペーストでワードに張り替えて読んでいた。

年だからとあきらめていたのである。

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ところが、運命とは不思議なものだ。

とあるきっかけで札幌に講演に言ったときに、メガネをご専門としている方にお会いし、そのお店でメガネを作っていただいた。

1)  メガネは目的に合わせて複数持つのが正しい

2)  目にしっかり合っていないと、片方の目を過度に使う

など私にははじめて知ることも教えていただいた。

この年になるまで、メガネの離せない人生だったが、いつもメガネは一つに決めていた。メガネをかけ直すと軽い頭痛がしたり、めまいがするからだった。

でも、「寒いときにはコート、暖かいところでは・・・」と同じように、メガネも着替える方がよいと言われて、今では、3つを使い分けている。

1)  遠くも近くも不便無く見ることができるメガネ

2)  パソコンの距離に単焦点であっているメガネ

3)  読書の距離に単焦点で合っているメガネ

驚くべきことに、私の目は「歳でかすんでいる」のではなく、「適切なメガネをかけていなかった!」というだけだった。

最初にパソコン用のメガネをかけたときの驚きは新鮮だった。なにしろ、細かい字が何となくかすんで見にくかったのが、小学校の頃のようにクリアーに見えるではないか!!

このことを経験したので、書籍用のメガネをかけたとき、驚くべきほどにクリアーに見える字にも驚かなかった。期待通りというところだ。

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メガネ1)を掛けていて、読書をするときにはメガネ3)を掛ける。実に快適である。メガネ1)を外して鞄からメガネ3)を出すときには、面倒と言うより楽しみである。

自分の目の前に広がるクリアーな世界、その中で読書ができるという期待の方が強いのだ。目が「かすんできた」頃から本を読む速度が遅くなったのだが、またそれも以前に戻った。

そして、実に不思議なことに、メガネを変えても頭痛も無く、めまいもしない。何ともないのである。

おそらく、これまでのメガネは自分に合っていなかったのだろう。その点では「優れたメガネを作ってくれるところ」を探すのが第一だろうと思う。しっかり自分の目にあっていれば、確かにメガネを変えても違和感は無いはずである。

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人間、あきらめてしまうことがある。

私の場合、体が弱かったし、目も弱く、しかも一度、失明している。だから、字がかすんできたときに「歳だから」と勝手に思い込んだだけである。思い込みとは恐ろしいものだ。改善できるのに自分で自分を縛ってしまう。

未来は明るいこともあるのだ。たとえ体が弱くても・・・

もし、札幌でその人にお会いしなければ、私の人生は錯覚の中で生活し、きっと「かすんだままの人生」だっただろう。

(平成211211日 執筆)