地球温暖化でかねてから「おかしい」と指摘されていたデータが本当にねつ造されたものではないかとの疑惑が起こり、そのニュースが「日本を除く」先進国に広がっています。

これまで「温暖化は本当に起こるの?」と聞くと、「IPCCには専門家が3000人もいる」という返事が返ってきたものです。科学は多数決ではありませんから、3000人だろうが1人だろうが、信頼できるデータは信頼でき、いい加減なデータは信頼できないのは当然です。

だから、もともと「IPCCが何人いる」とか「査読論文だから」というのは、科学では論理破綻なのですが、普通の人は直接、論文を読むわけではないので、人数や権威などを判断の基準にするしかないのかも知れません。

ただ、IPCCが採用している温暖化のデータには偽造があるという指摘は、すでに数年前からあり、特に地球の気温変化を整理したデータとして、IPCCの第3次報告には入っていたマンのホッケースティックグラフは、データに疑わしいところがあり、第4次報告書では削除されたという経緯があります

このマンのデータは温暖化を考える上でもっとも重要なもので、「20世紀の温暖化は歴史的に繰り返されてきたものの1つか、それとも初めてのことか」を決めるものでした。

このホッケースティック・グラフについては、日本では、名城大学の槌田先生、アラスカ大学の赤祖父先生などが強い疑念を示し、さらに海外でも多くの疑問が提出されていたものです。

ところが、ホッケースティック・グラフが採用されたときから以後、データの信憑性について疑念を呈する槌田先生などが、国はもちろん、学会も含めて不利な取り扱いを受けていたことについて、私はとても残念な気がします。

学問は、自由な「疑問・懐疑」こそが命です。

それは、なぜ学問が「進歩」するのかというと、「現在の学問に懐疑する」ということが出発点だからです。

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ところが日本では、前東大総長と「懐疑派バスターズ」というグループを結成した若手の科学者が、まともな疑念を示す槌田先生などの学者を権力を使ってバスター(やっつける)を始めたのは数年前のことです。

私も多くの被害を受けました。でも、とてもおかしいのです。

「温暖化推進派」は今では学会で主流派ですし、かつ、国家の保護を受け、推進派に所属する学者は研究費や出世などの点で、なに不自由することなく研究をしているのですから、待遇が悪い懐疑を示す学者を「やっつける」必要など全くないのです。

必要がないのにバッシングするということになると、「温暖化の危機をいう学者はデータを偽造しているから、それがばれないために攻撃をしてくるのかな?」と思うのも自然です。

実は、権力はお金が問題になる一般社会と、自然科学の世界では大きく違うところがあります。

今回の場合は、「温暖化するかどうか」とか「温暖化で日本にどのような被害が起こるか」というのは「自然科学」の世界ですから、「良い、悪い」という価値判断や、人生観、思想、宗教などから離れていなければなりません。

科学は、現実に何かを製造して社会に供給する段階になると、「そんなものを供給してはいけない」という考えも出てきますが、「今までの気温はどのように変化してきたか」とか「これからの気温はどうなるのか」ということを研究しても、それが直接的に社会に被害を与えることにはならないからです。

一方、政治や企業活動には「価値観」が必要ですから、温暖化についてどのような判断をしても良いのですが、学問はそこから離れているのですから、自分の考えに異論を示す人を排斥する意味がないのです。

だから、懐疑派をやっつける必要はないのです。

今回のイギリスのメール暴露事件では、IPCCのホッケースティックグラフに疑問を呈する学者を「どうしたら貶めることができるか」とか、懐疑派の学者が亡くなったことを「良かった」と書いたりしています。

そこには「学問を愛する物静かな学者」というイメージはまったくなく、権力と資金集めに奔走する現代の「指導的学者」の典型例を見る思いです。

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ロンドン天文台長だったブラウン氏はその著作の中で、「社会の名誉やお金と離れて、自分の学問に忠誠を誓う学者は19世紀に絶滅した」とありますし、20世紀の社会学者マックスウェーバーは「職業としての学問」の中で、職業化した学者が大学の中で暗躍する様子を書いています。

私は学問が好きで、企業の技術者から大学の教師に移ったのですが、私も大学の中で「学問が嫌いな学者」や「学問より社会的なことに興味がある先生」の多いことにはビックリしたものです。

そんなことを知っている私にとっては、今回のイギリスのメール暴露事件は残念ながら、納得できるものでした。「普段から、そんなことをやっているのだから」というのが率直な感想です。

日本国憲法には「学問の自由」がはっきりと示されていて、温暖化とその影響に懐疑を示す学者を「差別」してはいけないのです。

その点で、前東大総長の小宮山氏が「仲間に頼んで懐疑派をバッシングする準備をしている」と発言されたのにはビックリし、この発言だけで、小宮山氏の立場を考えれば、検察庁は小宮山氏を逮捕する必要がありますし、また、学問の府である東大は小宮山氏の「総長時代」を歴史から消し去らなければならないと感じました。

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今回の暴露事件はすでに大学がメール自体は本物であることを認めていますが、COP15の直前でもあり、政治的な暴露活動とも考えられます。だから、私たち学者がこの暴露事件について強い反応をするのも控える必要があります。

しかし、社会の多くの人は、学問の社会には「お金や名誉を優先する」人たちがかなり多く、特に日本ではその人たちが「主流」をなしていることは知っておいた方が良いと思います。

学問はそれ自体に意味のあるものですが、同時に日本国民のものだからです。

(平成211127日 執筆)