名古屋市では、河村たかし市長が「10%減税」を公約とし、当選すると、市議会は民主党を含めて減税に反対するということで争いが起こっている。

特に、市議会が名古屋市に対して「減税の情報を市民に伝えてはいけない」という申し入れをしたので、市長側が硬化し、「市議会の定員を減らし、報酬を下げる」という案で対抗した。

もともと、名古屋市の市議会の報酬は2000万円を超えるのだから、あまりに高く、これまで市議会が自ら報酬を下げなかったことが不思議なぐらいだ。

自分の給与だからもらった方が得、というような判断ならそれこそ市議会議員の資格はない。金にこだわって公職はできないし、選挙民と一緒に苦労をともにしないと庶民の心はわからない。

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ところで、先日、この争いの最中に市議会議員の様子がテレビで写っていた。数人の議員が打ち合わせ室に入り、報道陣をシャッタアウトして、ピタリと扉をしめた。

日本の議会では普通にある風景である。

国会などでも「偉い人」が「密談」をするために廊下を早足で歩き報道陣を避けるようして部屋に入る。

そんなときにはいつもピタッと扉が閉められるものである。それをみるたびに、私は「民主主義も遠いな」と思う。民主党は民主主義だし、自由民主党も民主主義、そして社会民主党も民主主義なのだが、これだけ「民主」がついているのに、なぜ「民が主人」でく「議員が主人」なのだろうか?

もし、民が主人なら「議員は偉い人でも先生でもなく」、「情報を主人に隠す必要もない」はずだ。

でも、現実には、議員は王様と思っているし、庶民も議員を「偉い人」と思っている。だから、「偉い人には密談がある」と錯覚しているが、私には議員が報道陣をシャッタアウトする意味がわからない。

むしろ、常に自分たちの議論を主人に聞いてもらい、理解してもらいたいはずだ。せっかくテレビカメラがきているのに、会議室を開放しないのか?それは「主人には聞かせたくないやましいこと」を話しているからにほかならない。

減税の議論をしているのではなく、どうしたら市長を陥れるかなどの低俗な話をしたのだろう。もし議論を聞いたら市民が市議会のことをより理解できるような話なら、「扉」は閉められないだろうから、議論が低俗であったことは間違いない。

名古屋に住んでいる人にとっては、議員の議論は常に公開であるべきと思う。

(平成211115日 執筆)