裁判の鑑定人を引き受けるようになったのは,ある友人との関係だったが,今では名古屋が主体だけれど,20回ほどの事件を鑑定してきた.

私が裁判の鑑定を引き受けたのは,「弱者には鑑定人がいない」という驚くべきことを発見したからだ.

なにしろ,国の方は,裁判所,検事,警察,鑑定人(だいたいは警察関係か東大教授)という圧倒的な力で「有罪」を強要してくる。

国の税金を使ってあらゆる手段を使ってくるのだから,強力で.大抵の被告はこれで負けてしまう。

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最近,有名な足利事件では,犯人とされた被告が「私は無実だから,私のDNAを鑑定してくれ」と言っているのに,裁判所は認めない.

かつての私なら,「なぜ,裁判所は被告が自分のDNAを鑑定してくれと頼んでいるのに,鑑定しないのか?」と不思議に思うけれど,今は違う。

裁判というのは,裁判官と検察が談合して,何とかして被告を有罪にしようとする儀式のようなものだということを身に浸みて,体験してきた.

裁判官は「被告が無罪になりそうな話しや証拠」を極端にいやがる。「これを見れば,無罪が分かる」という証拠を捜すと,まずは「採用しない」ということになる.

裁判官も本能的に,提出されようとしている証拠を見ると無罪判決を書かざるをえない恐怖心にさいなまれるのだろう.もし真実に基づいて無罪判決を書くと,その裁判官の出世の道は閉ざされる。

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そんな,ひとつ一つの事件についてはおいおい書いていくことにして,まずは私の鑑定人としての経験を書いてみたい。

鑑定を頼まれて,心をまっすぐにして事件に対峙し,そして計算をして鑑定書を書き上げ,それを裁判所に提出する。

ほどなくして,多くの場合,裁判所から呼び出しが来るが,私は覚悟をして裁判所に行く。

被告に有利な鑑定書を書いた鑑定人というのは裁判所で悲惨な目に遭うからだ.

もともと「鑑定人」というのは,その鑑定人の専門にそって事件のある側面を科学的に明らかにする事だ.だから,自分としては検事側でもなく,弁護側でもなく,ただ自分が専門とする物理や材料の分野のデータ,手法を用いて冷静に書く。

なにしろ,時によっては被告の人の一生にかかわることだから,自分の利害やその他のことを考えるわけにはいかない.

・・・と考えるのは,ナイーブな庶民なのであり,私も10年ほど前まではそうだった.何回か裏切られても,「鑑定で事実に迫る」というプライドで鑑定したものだった.

でも,耐えられるものではない.裁判所に出廷すると,全くの被告扱いで尋問を受ける.尋問する検事は,私の鑑定については全くの素人なのに,ごう慢に尋問してくる。

検事は真実を明らかにしようとしているのではない.何とかして鑑定人を感情的にさせて,鑑定の信頼性を落とそうとしているので,私を罵倒し,横柄な態度を取り,バカにする。

その術中に入らないように2時間から,時には6時間も頑張ると,こちらもヘトヘトになる.

でも,検事だけがそうならそれでも我慢ができる.

裁判官は常に検事とグルなので,ほとんど検事と同じような態度で臨む。彼は出世のために有罪判決を書かなければならず,そのためには鑑定書が真実に迫れば迫るほど困るからだ.

(平成211023()