人間はその人,その人で素晴らしい人間としての価値を持っている.

教育を担当している私として,何が哀しいかと言えば,成績が良いほど,学歴が高いほど,「教育基本法」で定められた教育の目的からはずれてくるのだ.

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教育基本法第一条目的(少し古いもの)

「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

だから,

「真理と正義を愛し」

「個人の価値を尊び」

「勤労と責任を重んじ」

「自主的精神に満ちた」

人間を育てたいと願う。教師なら教育基本法を実戦しようとするのは当然だ.ここに「学力」という文字は無い.

・・・社会でどんなことが言われていても,それにはとらわれず,真理と正義を追求してくれ

・・・「俺は正しい」と言ってはダメだ.相手にも相手の正しさがある.それを尊重するのだ,と教える。

・・・真面目に勉強し,講義に遅れたら自分で後ろに立つことを勧める.

・・・試験はするが採点はしない.自分で自主的に勉強すること.

と言う。一つ一つ,大切なことだが,最後の「自主的」というのは人間の尊厳そのものだから,これに注力する.

講義の時に,「私は君たちの将来に責任を持つことはできない.勉強したくない人は下宿で寝た方が良いだろう」と呼び掛ける。

「自分で勉強したい人だけ,講義に出ること.それ以外の人は教室から出ること」と言って私語が止まない学生は出てもらっている。

そして,ジャパンタイムズのヒット記事に私の試験方法が良く書かれている。

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試験は自分自身のテストである。他人と比較するのでもなければ,「ここまでできたら合格」というものでもない.

出題される問題にどのぐらい自分が答えられるか,それは自分自身との戦いである。他人は関係が無い.

自分が「自主的精神」を持つことができたのか,それが勝負なのだ.

かくして,真理と正義を愛し,個人の価値を尊び,勤労と責任を重んじ,自主的精神に満ちた学生になることを望む。

でも,成績が良いと正義を愛さず,個人の価値を尊ぶ学生は少ない.正義を捨てて自己を守るようになり,成績の悪い人をバカにする。

つまり,学問を中途半端に学ぶと,それは人間の奥底にある「自己防衛反応と傲慢さ」を目覚めさせることだけになる。

どうしたら良いだろうか?

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今の日本を見ると,私は絶望する。日本で偉くなっている人,尊敬される人は「自己防衛反応が人一倍強く,個人の価値を尊ばない」人だからだ.

教育で訓練して,頭が良くなると,容易に他人をだまし,自分だけが得をする方法を選ぶ。それはその人にとってはもっとも楽で,豊かな生活ができるからだ.

「日本人の誠」,かつて世界で日本だけにあったこの素晴らしい人格を,日本人が再び思い出すことができないのだろうか?

これは理想論ではない.かつての日本はそうだったのだから!

私たち,どんな少数でも,今日から誠実になろう.そして誠実な人だけで,時に話しをし,時に酒を飲もうではないか.

日本人,全員が日本人の誠を思い出さなくても良い.そんな事は強制したくない.でも,自分だけならそれができる.そして同意する人と人生を送りたい.

(平成211018日)