12千万人もいる日本人が,全員,毎日,同じ生活をしたらどうだろうか?気持ち悪いというか,そんなら生きていても意味が無いような感じもする。

人間は「餌」だけを求めてその生涯を終わるのではない.「餌」を得るための活動はそこそこにして,文化や心を大切にできればそれに超したことも無い.

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何年前になるだろうか. 火曜日の2限,つまり1030分から12時ごろまでの講義をご担当の歴史の先生がおられた.

その先生と私は,専門という点ではまったく違っていたが,なにか気があったのだろう,先生のご講義が終わると電話がかかってくる。

「先生,今日はお時間がありますか?」

先生と私は連れだってそば屋に行く。かならずそば屋であって,ラーメン屋でもカレーライスでもない.いつも日本そば屋である。

そこで,ざるそばと天ぷら,それに日本酒を頼む。これもいつも同じで,それ以外を頼んだ記憶が無い.

そして,そばを食べ,天ぷらを肴にしながら日本酒をかたむける。時刻はおおよそ午後の二時である.

談論風発,その時によってあるいは江戸時代だったり,あるいは心理学だったりするけれど,お酒が入ってすっかり話し込み,終わるのは三時半頃だ.

「私はすこしぶらっとしてきますから」

と先生はどこかに立ち去られる。工学系の私は実験があるので,大学に帰る。

先生は週に一度,大学で講義をして,その外の日はご自宅で研究をされている.かなり有名な本も執筆されている.大学から電車でゆうに二時間はかかるけれど,なにしろ一週間に一度しか大学に出てこられないので,良いのだろう.

そして火曜日の午後は私とおそばを食べるという訳だ.おそばの後は,「ブラブラして帰る」と言われる。ブラブラとはどこに行かれるのは,それは聞いたことがないが,一杯気分で夕刻の散歩を楽しまれるのだろう。

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人間の思考というのは途切れると深くならない.だから,昔の大学の先生の著述物を見ると,この先生は一年中,書斎のソファーに座っておられたのではないかと思う.

人間には知恵がいる.そして高みに登った智恵に接するのはとても快適なことだ.

だから,社会とは隔絶し,霞を食べているような人もまた社会にとっては貴重なのではないかと私は思う。

世離れした人が書かれた文章は特別に趣がある.人間は実際にある生活をしていないと良い作品はでない.たとえベートーベンやショパンが今の東京に住んでいても,あの名曲はできないだろう.

「月光」と言っても月の光がなかったり,「幻想即興曲」といっても幻想は生まれない.「皇帝」の情熱もわかないだろうからだ.

宮城道雄が作曲した「瀬音」という琴の音は,どうしても小川のせせらぎがいる.

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今日は,とある先生と学生食堂で昼食をとり,談論風発,大いに楽しく話しをした.12時を過ぎて学生で一杯になってきたので,神田の古本街を先生と一緒に散策した.

食堂で座って話しをしたときと,また違う刺激を受けて話しは弾んだ.学食での昼食と古本街の散策はあまりに贅沢ではあるが,それでも人間にとっては文化の香るこんな昼も楽しいものだ.

大学ですら,効率一本の世界になり,特に若い先生が,やれ委員会だ,やれオープンキャンパスだと走り回っているのが気の毒になる。

良い時間だった.

(平成211015()