「日本はアジアに何をしたか」というなかなか難しいテーマも,「哲学の国 インド」,「ビルマの竪琴」と進んで,いよいよシャム(今のタイ)まで来た。

イギリスがインドを植民地にしていた頃,インドにも技術者がいて,イギリスのように効率的に繊維を作りたいと思って糸を紡ぐ機械を作る人が出てきた.

また,蒸気機関も考案した人もいたという。

インドの発展を恐れたイギリスは,そんな技術者の手首を切り落とした.そうすれば機械を考案する人がいなくなるから,いつまでもインドを支配できると考えたのだ.

ヨーロッパやアメリカを崇拝している人には悪いけれど,白人,特にアングロサクソンという人種はそういう残虐性を持っている.

というより,ヨーロッパ人以外は動物と同じであり,インド人の生殺与奪の権利はイギリス人が持っていると信じて疑わなかったのである。

現在の日本人でこのような白人の性質を正しく理解している人がどのぐらいいるだろうか?

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そんな中で,シャムはなかなか難しかった.

国の西にはビルマがあって,そこはイギリスに支配されていた.東にはインドシナがあり,ここはフランスだった.

その間に入って,普通なら植民地になっていて当然だった.

その頃,アジア,アフリカの国で,「独立」を保っていたのは,日本,シャム,エチオピアだけだったし,エチオピアは疫病が蔓延していてヨーロッパ人が入るのを怖がっていて,植民地にならずに住んだ.日本は鎖国と軍事力で独立を保っていた.

何しろ,植民地が良くなりそうだったら,そこにいる人の手首を切り落とすというぐらいの残虐性をもったヨーロッパ人が相手だ.並大抵ではない.

ところが,シャムには切り札があった.それが外交術であり,シャム王族の才能だった.

それをユルブリンナーが「王様と私」という名作の映画で見事に演じている。

clip_image0021956年

ここではあまり史実は追わないようにする.シャムの王家はある時にはイギリス人の家庭教師を雇い,ある時にはフランスを懐柔して,この2つの国の間で微妙なバランスを取って独立を保ったとされている.

今でもタイの人たちは王族を尊敬する気持ちが強い.王家の名前はチェラロンコンである.

日本はインドシナ(かつてフランスが占領していたインドシナという意味で「仏印」からシャム(タイ)に進軍し,さらにビルマへと進んだ.

その点でタイには迷惑をかけたが,ここでは戦争のあと,タイの首相が言っていることを引用したい.

タイ・プラモード首相

「日本のおかげでアジアは独立できました.日本というお母さんは,その母体を壊してまでアジア諸国という子供たちを産んでくれました.今,アジア諸国が欧米と対等に話しができるのは日本のおかげです.アジアの国が今,あるのは,自分を殺してまで子供を産んでくれた日本という国があるからだ.我々は128日を忘れてはいけない.」

ここまで,第2次世界大戦で日本が戦った地域の内,最初に進駐したインドシナより西側の,インド,ビルマ,タイの人の発言を取りあげた.

もちろん,その国民の考えは1人1人,違うのだから,このシリーズで取りあげる言葉はそのごく一部である。しかし,現代の日本人が国際関係を考える時に,戦後の教育で学んだ硬直的な戦争責任論だけではなく,広く情報に接することが大切であると考えられる。

物事には良い面と悪い面があるが,戦争ほどそれが極端な場合は少ない.だから,戦争の評価というものは,日常的なことより,その是非(良いか悪いか)を判断するのが難しいのである。

(平成211011()

(ここでは,ユルブリンナー主演の「王様と私」の一場面のスチール写真を掲載した.著作権は50年が限度になり,かつ絵画や写真などは「写真を写真に撮った」場合は著作権は大幅に緩和される.そこで,1956年のスチール写真の使用については著作権は切れていると考えられるので使用した.また著作権は創造物にしか与えられず,かつ学術目的には適応されない.)