最近,未来を予測することはできるのかということを,考えたり,書いたりし始めると,どうも,難しくなりすぎる。

どんなに難しいことでも,簡単に書くことができるのではないかと思っている私にとっては理路整然と書くのは良いように思うけれど,どうも不満が残る。

「なんで,もう少し分かりやすく書けないのか? 難しいことでも簡単な表現で書くことができる」というのが私の信念ではないか,と思い返し,どうも残念でならない.

そこで,シリーズはシリーズで続けるとして,ちょっと立ち止まって,「未来を予測する」ということを少しかみ砕いて書いてみたいと思った.

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未来の予測について書いてみたいと思った動機は,「ゴミが溢れる」,「農薬でガンになる」,「ダイオキシンは猛毒で,明日にも人類が滅亡する」,そして「100年後に温暖化で酷いことになる」とどれもこれも将来がまっくらという報道が続いてる.

でも,あまり当たらない.ゴミはさっぱり溢れていないし,農薬でガンが増えたということはない.ダイオキシンは無毒に近かった.

じゃあ,なにが間違っているのだろうか?これほど予想がはずれるには,それなりの理由があるだろうと思った.

そして,少し過去の予想を調べて見ると,マルサスの人口論,グールドの将来人口予測など人口の予測はことごとくはずれていることが分かった.

軍事や環境の問題でも,アインシュタインの予想のように本当に頭の良い人の予想もあまり当たっているとは言えない.

それなのに,NHKなどは未来の予測が本当のように繰り返し報道するので,多くの人は恐怖に怯え,若者は将来に夢を失っている。

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そこで,「なぜ,未来の予想は当たらないのか?」ということを,考えてみた.

まず,マルサス,グールド,アインシュタインのような偉い人が書いている未来予測の書物や宣言などを調べて見た.

そうすると,どうも未来予測を間違うのは,簡単なことだ.

一つは,「知識不足」がある.マルサスは「人口は食糧と性欲で決まる」という原則を立てて,人口予測をしたが,生物に対する知識が増えてくると,人口は生物的なことでかなり大きく支配されていることが分かってきた.

その知識を考えにいれていない未来予測は当然ながら間違う。

次に,非常に本質的なことがある.

人間の頭脳というのは,「過去から現在までの知識」で成り立っている.それは足り前のことで,未来に新しく発見されることや,未来の社会がどのようになっているかは分かるはずもない.

「発見」というのは,「発見されるまでには知られていなかったこと」だから,未来の発見を今,思いつくことは論理としてあり得ない.

社会の変化もそうで,封建主義の時に民主主義の世の中を予想した人はいないし,共産主義国家を作った人はまさか80年でつぶれてしまうとは夢にも考えていない.

私は科学者なのでそんな例をいくつか知っているけれど,一般の人でも20年前にこれほど携帯電話が便利になり普及するとは思っていなかったと思う.

当時の携帯電話は持って歩くには余りに重く,電池の寿命も短くて,特別に偉い人か変人しか携帯電話を持っていなかったものである.

それが今では高校生でも必需品になっている。こんなことを予想できるだろうか?

もともと世の中に「研究」というのがある限り,その人たちは「今と違うことを発見しよう」と思っている。そして,今からの研究が全部,失敗するということは,おそらくあり得ないだろう。

たしかに,鉄の生産というような昔からあるものは,それほど進歩はしないかも知れないが,遺伝子科学や電子科学はまだ成熟していないから,ドンドン発達するはずだ.事実,ES細胞のように新しい発見が続いている.

新しいことは科学(理科系の自然科学)ばかりではなく,社会の変化もある.もし,新しいことが無くなるとすると,ノーベル賞の受賞者がいなくなったということだから,それはあまりにも唐突な考えだ.

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ここでまず,「ノーベル賞の受賞者は続く」とする.そうすると「今後も新しい発見がある」ということになり,ということは「今,私たちが考えていることは不十分である」ということが分かる.

つまり,「今の知識」は不十分だ.少なくとも,新しい発見があって暫くした社会では常識になっていることでも,考えることができないということである.

たとえばグールドが1930年代に未来の人口予測をしたときに,まだミュラーは新しい殺虫剤を発見していなかった.だから,グールドは「予測するときにすでにあった殺虫剤」だけを考慮して未来の作物の収穫量を予測した.それ以外にも,当時はまだ農業機械,肥料なども無かったので,作付面積あたりの作物の収穫量はかなり低かった.

でもその後の改良についてはグールドが思いつくはずもないので,当時のまま計算を行った.

だから間違うのは当然だ.

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このように考えると,「今後,新しい発見がある」,「社会はだんだん変化していく」という二つのことがあるので,「現在の知識と現在の社会,およびその延長線上」を仮定した未来の予測は間違うのが当然である。

でも,しっかりした大人,立派な学者がなぜ,間違うに決まっている未来の予測をするのだろうか?

1970年代の初頭に地球方程式を解いて未来予測したメドウスは,その点はチャンと分かっていて,

「今の科学,社会に変化が無ければ」

と断っている.でも,その後,すぐ脱硫技術などの主要な公害防止技術ができたので,今では彼の予想の多くはすでに間違っている。

彼は,脱硫技術を知らなかったので,石油や石炭を使うと大気が亜硫酸ガスなどで汚れるとして計算した.それは彼が断っているので,批判する必要は無いけれど,今では,亜硫酸ガスは出ないので,彼の計算は間違っていた.

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「未来予測は間違う」ということと,「未来予測はしなくてもよい」ということは違う。未来予測が間違うことを承知で未来予測をして,メドウスのように「現在の状態が変わらなければ」という注釈をつけることだ.

そのことによって問題の所在はハッキリするけれど,その予想が間違っていることを同時によくよく丁寧に書いておくことが必要なのである

だから温暖化で言えば,100年後の気温を推定することはできても,その値はゼッタイに,確実に「間違っている」と計算する人は言わなければならない.

(平成211010()