学問は過去を解析し説明することができるが,未来は予測することはできない.それは,我々の学問は不完全であり,欠陥があるので,未来が過去になったときに過去を解析すると現在と別の結論に到達するという原理があるからである.

特に社会的な問題を取り扱う時には社会自体がダイナミックに変化し,現在の頭脳の中にある学問体系にはないものが新たに付加されるからでもある.

1990年以後で日本で問題になった環境問題はそのほとんどが自然科学の現象であると共に社会と関係のある「未来の問題」であるが,学問の原則と未来予測が矛盾した形で行われた典型例が「ダイオキシン」であった.

1970年代に明らかになった「ダイオキシンが一部の動物にとって猛毒である」という科学的事実は,「同じ化合物が人間に対しても毒物である可能性がある」という範囲なら科学であるが,「人間に対して猛毒である」という断言されるとしたら,それは科学ではない.

しかし,現実にはダイオキシンの報道は1996年に行われ,「猛毒である」と断言された.

仮にダイオキシンが人間に対して猛毒であれば,1996年に結論が出ていたかもしれないが,現実には毒性が弱かったので,科学的な結論がでるのが遅れた.

すなわち,「毒性が弱い,または毒性がない」と結論するには,毒性が強い場合に比べて数倍の時間が必要となる.

毒性が強いと患者が複数発生するので,「クロ」という結論がでるが,毒性が弱いと患者が発生しないので,「シロ」と結論するには相当,多くの事例を集積しなければならないからだである.

この問題を混乱させたもう一つの原因が1992年に国際的に約束された「予防原則」についての知識不足にあった.

新しい概念で約束された予防原則とは「科学的に不明である場合でも,危険が予想されるときには規制することが許される」ということである.

ダイオキシンの規制に予防原則が適応されたかどうかはハッキリしないが,たとえば予防原則上の規制とすると,「その毒性は科学的に明確ではない」ということが前提であり,日本で報道されたように「ダイオキシンは毒性があるから規制する」ということではない.

しかし,読者で科学に関係している人の中にも「ダイオキシンは猛毒だ」と理解している人が多い.多くの場合,その人の情報ソースはテレビと新聞であり,それらのメディアによって強く与えられた先入観は科学の訓練を受けていてもなかなかぬぐい去ることはできない.

科学,もしくは少し広げて学問は未来を予測しない,

予測できないということはきわめて重要であり,それを社会にも積極的に発信していく必要があるだろう.

私は未来を問われれば,「それは学問の領域ではなく,政治,事業,占いの分担である」と答える。

学問は体系を作り,それを現在における「正」として認め,さらに同時にそれは「誤」を含むと認識して,研究活動をするのである.

新しい自然科学の発見や,人間が作り出す社会が変化することを認めるなら,未来の状態は現在と異なるが故に,その状態は現在の学問体系に含まれていないので,結果的に学問が未来を述べることはできないことを,確認しておかなければならない.

(平成21年10月9日(金))