電車の車中でお化粧をしている女性がいる.私には見苦しくてそちらを見ることはできない.

でも,お化粧をしている女性自身は,時間もないし,電車には自分の恋人,あるいは恋人候補者はいないので,有効な時間の使い方と言える。

つまり,感受性の高い男性にとっては,電車の中で女性がお化粧をしている風景は耐え難いものだが,その女性が自分の人生の時間をどうつかおうが,基本的にはその女性の選択だ.

長い人生を送っていると,「感受性が鈍い」ということがどんなに大切なことかと思う,感受性が高いというのではない,鈍い人がうらやましい.

夜,苦しくなること,悩むこと・・・すべて自分の感受性である。

なんでこんなにあれこれと感じるのだろうか? なぜ,人生のこととか社会のことに敏感なのだろうか? それは自分のかってであり,わがままではないのか?

人のことが気になっても,それだからといって,自分が野原に一人で住む度胸もない.隣には人がいるのだ.そして,人には人の考えがある.お化粧している女性も,きっとそれが正しいと思ってお化粧しているはずだ.

だから,相手の女性が正しいと思っていることを自分が間違っていると言ってもしかたがない.人間は1人1人が考え,魂を持ち,そして最終的にその人が正しいと思うことをやっているに過ぎない.

それに女性が一人もいなくなるとやはり寂しい.女性はやっかいなものだが,いなければ寂しい.

自分もずいぶん勝手なものだ.

社長は「儲けるのが大切だ」と言って,部下の首を切る.でも部下は儲けなくても,給料が下がっても,自分の仕事をやりたいと思っている。

社長は錯覚しているのだ.でもそれこそ人間で,偉い人ほど考えは間違っている。

さらに言えば,誰もが間違っている。大切なことは,相手には相手の正義があるということを知ることであり,自分は感受性が高すぎると深く反省することでもあるだろう。

(平成21108()