民主党政権になって「子育て支援」が浮上してきた.そのうちでも,公的な施設の充実は別にして,一時金を配るというのはどういう論理に立っているのだろうか?

この問題は,結婚直後,あるいは中年の夫婦の問題にように思えるが,実は今後の日本社会にとって,かなり深い問題を提起しているように思う。

「生物」にとって,その人生でもっとも大切なことは子孫を産んで,子供を育てることだ.このことは生物の最大の仕事で,自分の人生より優先される場合すら多い。

動物の子育て,鳥の巣立ちなどをすこしでも知っている人にとっては,また,イギリスのドーキンスが著した「遺伝子の乗り物」を読んだ人は,生物に共通なこの本能を良く理解できる。

つまり,生物が子供をつくるということはその「子供を自分の力で育てる」ということであり,それは生物の営みとしてかなり深く,かつ根本的なものであると考えられる。

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さて,人間の場合はどうであろうか?

かつて,社会がまだ未発達の時,夫婦が子供を産んだら,その子供は夫婦が育てるのはあまりにも当たり前のことだった.

若い男女が愛し合っても子供を作るときには,それが二人にとってできることなのか,それがもっとも厳しい問いかけだった.そしてその覚悟が二人の愛をさらに深め,一つの独立した家庭として成長していく。

もちろん,社会には産んでから体を悪くしたり,夫が軍隊にでてそのまま帰らなかったりすることがあり,そのような時には社会が救いの手をさしのべる.これはまったく別次元のことである.

現代の日本は格差が広がり,景気ももう一つであることは確かである。しかし「子育て」のために,保育園などの公共の施設を作るのはともかく,夫婦に「一時金」を渡すというのはどういう論理から来ているのだろうか?

若いときは生活は厳しい.子供のミルクを買うために親が食事を減らすことはある.それこそ人間として最も大切なことではないか?

また,さらに踏み込んでみると,男女が機会均等で同じようなチャンスを持つことは大切で,そのためには子供の保育というのが最大の問題であることは十分,承知している。しかし,子供を保育園に預けることすら,親が最大限の努力をして育てなければならないという「子供の権利」を侵害しているように私には思える。

「子供の保育」と「親の就職」が両立しないから,「子供に我慢してもらう」という現在の方式に,私は常々,疑問を感じている。それは子供が論理的に自分の希望をのべることができないので,大人の都合だけで決めているように思う。

「それでは解決策はあるのか?」とお叱りを受けるが,解決策がないから,子供にしわ寄せをしてもよいとは私は考えない.もし解決策がなければ,自己を主張できない子供を優先するべきだろう。

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「人間らしい生き方」と言い,「自立した個人」という.そのことと,可哀相な人を救うことと,人間が本来,やらなければならないことを混合してはいけない.

今回の一時金で,また一つ日本の家庭に崩壊の原因を作り,それは長い時間をかけてジワッと日本をダメにしていくだろう。

目先だけが良ければ良いというなら,次は教育もできなくなる.

(平成21104()