「手段」はすぐ「目的」になる.

「リサイクル」という手段はなにを「目的」にしているかはっきりしない.リサイクルした方がゴミも増えるし,税金も増える。でも,すでに目的化しているので,どのぐらいの資源の節約になっているのか,日本社会あまり関心を示さない.

私は「リサイクルの目的は中国の子孫を利すること」と考えているが,なかなかそこまで議論が進まない.

「ダイオキシン」もそうだった.ダイオキシンの毒性にはほとんど関心がなく,「規制値を4ピコから2ピコに下げる」ということだけに熱中しておられる運動家にひどく怒られたのだが,「ダイオキシンの毒性についてどのようにお考えですか?」とお聞きしても答えは無かった.

もちろん「温暖化」も完全な手段と化している.

ヨーロッパは「アジアの発展を押さえるため」という目的を持っており,中国は「日本からの技術供与を安く得ることができる」というのが目的である.

「温暖化で日本は良いことが多く,被害は少ない」と私がいうと,マスメディアは相手にしない.リサイクルの時もそうだったが,「温暖化」という手段が目的化すると,本来の目的はどうでも良いのだ.

次のステップでは,目的化した「温暖化防止」を利用して,いかに税金を取るか,排出権をどうするか,太陽電池で補助金を貰うかというようなことに夢中になる.そのような人たちをマスメディアは取りあげるのだ.

でも,それは大きな被害を生む。

金融崩壊も手段の目的化の一つで,倒産した多くの金融を取り扱う会社の首脳部は年俸1億ドル(100億円)をもらっていたとも言われる.

年間100億円というと,一日2700万円も使わなければならない.年俸を10年で使っても,毎日,270万円だ.

こんなにお金を使うためには,「お金を使うために人生を送る」ことになる.それも,本来は多くの人がもらってその人生を楽しむためのお金である.

「お金の金額が目的」という手段の目的化が,金融崩壊を招き,日本はアメリカの強欲の犠牲になり,それでもアメリカは頭を下げない.

考えてみると,先の戦争では広島,長崎,東京など多くの日本人が犠牲になったが,これも「戦争」という手段が目的化したことによる.

だから,戦争を終わって「なぜ,戦争したのですか?」と聞かれると,時の首相も外相も答えられなかった.「みんなが戦争をしたいと言ったから」と今のリサイクルや温暖化と同じことを言った.

もう繰り返すのは止めたい.

ついでに少し話しを広げると,「柔道の世界選手権で金メダルを取る」というのは,手段であって,目的ではない.

目的は何かというと柔道をスポーツとして自分の人生の大切なものにすることであり,金メダルというのは練習の励みにするための手段である。

温暖化という問題を通じて,少なくとも私たち日本人は,手段を目的にする事を止めて,より本質的なことを考えたいと私は思う.

(平成21925()