グールドは大恥をかいたのだが,それでもマルサスの亡霊は消えることはなかった.第二次世界大戦後に新しくできた国連は「なぜ,グールドの計算は間違っていたのか」ということを十分に考える間もなく,1960年代の末に「将来の世界」を予測する研究を,アメリカ・マサチューセッツ工科大学のメドウスに依頼した.

その結果,今度はメドウスが当時,最新鋭と言われたコンピュータで「地球方程式」を解き,その結果に基づいて「成長の限界」を執筆した.それによると,「2050年頃,世界は環境破壊によって大打撃を受け,約30億人の人が死亡する」ということだった.

日本では,マルサスの人口論は良く知られているのに,グールドの人口の限界の計算は誰も知らなかったこともあり,メドウスの研究はもっぱら石油資源との関係として捉えられた.しかし,「成長の限界」という書籍の名前でも分かるように,やはり,限界を決めるのは「人口の多さ」であるという基本的な考え方だった.

メドウスの本が出ると,世界中がビックリしたのだが,日本人も慌てふためき,明日にも石油が無くなってしまうのではないかと驚いて,トイレットペーパーを買いあさった.

メドウスが警告したのは,70年先の事であり,それも「石油が無くなる」という警告ではなく,「石油が無くならなかったら,もっと早く世界は崩壊するけれど,石油が無くなったら,環境破壊が止まるから,崩壊が先になる」と言うことだった.

でも,そんな複雑なことは到底理解されず,日本のマスメディアは「石油が無くなる」と書き,庶民はトイレットペーパーを買いあさったのだった.

石油が無くなるのはどんなに早くても70年先だ.そして人間はトイレに70年も入っているはずもない.それなのにトイレットペーパーを買いあさって,スーパーの店頭から姿を消したという事実は,現代の人間があまりに不安定な社会の中で,強い不安を抱えていること,それに乗じてマスメディアが危機をあおったことを如実に表している.

このとき,つまり第一次石油ショックと呼ばれたこの時代に,日本人が見当外れの大騒ぎをしたことは,残念に思うけれど,その反省を活かすことはできる.

まず,メドウスの本をシッカリ読まないで,自分の先入観で話しがドンドン一人歩きすることだ.確かにメドウスは石油の枯渇も問題にはしているが,資源が無尽蔵にあると,かえって世界各国がやりたい放題やるから,環境が破壊され,その結果,より早く人類の文化が崩壊するとしていた(このころはまだ現在より幻想が進んでいないので,「地球が危ない」といった勘違いの用語は使われていなかった.地球は大丈夫だが,人間の今の文化が壊れると考えられたのである。).

でも,日本では,マスメディアの誤報によって,危険なのは,「資源の枯渇」であり,とくに「石油の枯渇がもっとも重要なこと」と勘違いされてた,それでも冷静に考えれば,トイレットペーパーなどが無くなるということはないのに,メドウスの報告とはまったく関係ない行動にでたのである.

この話だけでも,日本人がいかに「正確な情報に不足していること」,「書籍を読まないこと」,そして「思考が停止していること」が分かる.もちろん,この石油ショックの時も,NHKや他のマスメディアが正しく伝えてくれれば良かったのだが,それは希望するだけ無理ということである.

テレビは,視聴率を上げるために,国民をおどかす傾向にある.それがテレビの役割と信じ切っているから,正確な情報を期待してはいけない.また,日本は民主主義の国だから,NHKの責任にしておくだけでは不十分で,私たちが自分たち自身で正しい情報を選択し,頭を働かせなければならない。

ところで,なぜグールドの世界人口の予想がはずれたのか,すでにグールドの報告から50年以上も経ち,予想がどのようにはずれたかもハッキリしているので,その理由をふり返って考えることは有意義だろう.

グールドが,世界人口は26億5千万人で頭を打つとしたのは,1920年代の世界の情勢によっている.

その頃,やっと石油が使われ始めたころで,化石燃料のほとんどは石炭だった.蒸気機関は1800年の始めには実用化されていたが,電気を使うものは1890年頃から,内燃機関(エンジン)を持った自動車もその頃ということだから,1920年というと,鉄道などがやっと実用化され始めた時期である。

それも先進国だけで,世界の多くの国の人々は,移動するときもほとんど徒歩の時代だった.

また,農業機械や家電製品なども使われていない頃で,組織的で大規模な農業生産は先進国と,その他の国では人が住んでいるところの周辺だけだった.だから,「農耕面積は少なく,農業機械が使えず,開墾もできず,農薬や殺虫剤も使わず,品種の改良もない」という条件で,グールドたちは計算を行った.

また,その頃の人間の寿命は,日本が1920年の統計で男女ともにほぼ40歳であり,英国などの先進国でもやっと50歳になったばかりだった.世界のほとんどの地域は衛生状態も悪く,正確な統計すらないが,おそらくは30歳代の平均寿命だったと考えられる。

このような状態を仮定して計算すると,人間が生存するために必要な食糧生産高などはどのぐらいの数値になるだろうか?

現在の世界の穀類(コメ,麦,トウモロコシ)の生産高は,ざっと年間20億トンだが,1960年では8億トンだった.

この40年間,実は,農作物の作付面積が7億ヘクタールと一定だったが,石油を農業に活用しだしたことで,作付け面積は同じなのに,生産量だけ2.5倍になった時期だった.

しかし,その前の時期,つまり第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけては,石油の農業への応用は進まず,特に,アジアやアフリカはまだほとんどの国がヨーロッパの植民地だったこともあって,農耕は原始的な状態だった。

マルサスは人口を決めるのは,食糧と性欲だと言ったわけだから,まずはそれに従ってみよう.

一つの要件である農業は2.5倍以上になった.もう一つの,人間の誕生と平均寿命から言うと,1920年代の約40歳から200年には60歳程度に伸びている.そうなると,農耕技術の発展,平均寿命の伸びを計算に入れて簡単に計算すると,当時と現在では,3.7倍ほど違うことが分かる。

1920年代の世界人口や約20億人だったので,それに3.7をかけると,それだけで約75億人ほどになる.2000年の世界人口が60億人ぐらいだから,「畑も増える,石油も使うようになる,寿命も延びる」とすると,だいたい,生産量の伸びと寿命の伸びで説明できる範囲になったのである.

こんな簡単に2000年の世界人口を正しく計算できるのに,なぜ国際連盟の予想は大きくはずれたのだろうか?

(平成21年9月23日(水))