酒井法子さんの事件は,日本の4つの暗部を照らし出した.

一つ目は,現代人の心の中に潜むゆがみ・・・つまりストレス・・・である.かつてどのような麻薬(ヘロインなど)も19世紀までは禁止されていなかった.

それでも麻薬に手を出す人はごく少数のとどまり,取り締まる必要が無かったのである.

この際,私たちが作り上げ,そして人生を送っているこの社会だけが,なぜ麻薬を求めているのか,そこになにが潜んでいるのか,よく考えてみたいと思う。

二つ目は,社会に直接的な害がないものを厳しく禁止するとアウトローの資金源になるという実例を示した.アメリカの禁酒法がそうであったように,規制は反動を呼ぶ.

特に,納得性のない規制(社会が受ける被害に対して,刑罰が重すぎること)が起こると,その非合理性に対して社会は反応し,アウトローに資金を与える。このことは化学反応のように「自動的に起こるリアクション」であることを知る必要があろう.

第三に,酒井法子さんの場合は,「法」を通り越して「リンチ」である.

人間の心は時として罪もない女性を「魔女」に仕立て上げて火あぶりをし,それを見るという残虐さを持っている.

自分の心の中にある残虐性,そして多くの人間が集合する社会の残虐性に対して,どの程度の自制ができるのか,それこそがその人間と社会の品位である。

このことでも,私は今回のことを日本人,日本社会との関係で考えてみたい.

そして最後に,つい1年ほど前,最高裁判所は酒井法子さんが出演する「薬物追放映画」を作った.

このことは小さいことではあるが,日本の司法がいかにだらしない状態にあるか,それは足利事件の誤審だけに見られるものではないことを示している.

最高裁判所は「正しいか間違っているか」についての最終的な判断をくだすところである。従って,そこには形式的にせよ,正しい判断が求められる。

今回のことで責任者が,どのような経緯で彼女が出演することになったのか,ことの次第をつまびらかに社会に明らかにし,謝罪し,そして再発防止を提言しなければならない.

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酒井法子さんはすでに社会から,本来彼女が受けるべき罰よりはるかに大きな罰を受けた.

また彼女に対する社会の反応と行動の方が,彼女が行った行動よりはるかに罪深い.

従って,社会は彼女を裁くことができない.これは「薬物がよいか,悪いか」という問題では無く,パンを盗んだ盗人を20年間,監獄にいれるようなものだ.

社会は公正でなければならない.そして憲法は「法の下の平等」をうたっている.彼女がいかに影響力の強い人物であったとしても,「法の下の平等」という大原則を守るのが遙かに大切だ.

この際,よく考えて,彼女に無罪判決を出し,「社会からリンチを排すること」と「憲法を守ること」を社会が決意した方が良いだろう.マスメディアの報道姿勢は一考の余地があると思う。

(平成21918() 執筆)