温暖化を考える時,いくつかの分かれ道がある。
第一の分かれ道は,「温暖化するか,寒冷化するか」であり,大きく言って,地球物理学者は寒冷化するといい,1980年代から力をえたCO2新学説派は温暖化すると言っている。
温暖化する方が主流のように見えるのは,この学説派が気象問題を政治問題化するのに成功したからだ.学問的に決着がついている話しではない.
もともと学問というのは一つの現象について諸説あるのが普通で,よほど,歴史のある学問領域や,決定的な発見があったような場合を別にして,学者の意見が一つになることなど無い.
その点では私は個人の批判はしないようにしているが,大臣や東大総長ぐらいになれば,個人より公的な立場だから批判が許されるとして,一つ,批判をしたい.
先日,ある新聞を読んでいたら,元東大総長が「最近,温暖化に異議を唱える「温暖懐疑派」がいる.とんでもないことだ.退治するために今,東大の先生と東北大の先生にやっつけてもらうようにしている」という趣旨の発言をしていた.
この先生は,すぐ学者を止めてもらいたい.ナチスと同じ思想だから.
もともと,1980年までは「寒冷化」が学問の主流だったから,「温暖化」の方が「寒冷化懐疑派」なのである.ただ,政治を利用したので,学問の主流のようになっているに過ぎない.
また,どちらが主流であっても,学問は異説を大切にすることに尽きる。「現在,正しいと思うこと」を認めて,学問というものが成立するはずもない.現在を「懐疑」してこそ学問である。
この元東大総長がどうしてこんなに変なことを言ったのか知らないが,このような人を東大総長に選ぶ東大教授陣も退陣したらどうだろうか?
学問は学者が守らなければならない.そうでなくても,世間でその時に主流になっている学説に反対すると,なにがしかの不利を受ける。
でもそれをカバーするのが学者であり,そのトップに近いのが東大総長こそが,異論を大切にしなければならないのだ.だから,この話は実にばかげた話しなのである。
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ところで,温暖化の判断で第一の分かれ道は,地球物理学者が言うように長期的に寒冷化に向かっているのか,それとも新学派が指摘するように温暖化に向かっているのかということだ.
私は次のように考えている。
1) 400年前の小氷河期からの温暖化で100年で0.3℃ぐらい(3割)
2) 都市の気温を測定していることと,補正をしていないことから来る都市化現象が0.3℃ぐらい(3割)
3) CO2などの人的な作用によるものが0.3℃ぐらい
要するに,過去のことはこのように考えているが,将来は,ほとんど判らないと思う。科学には,まだ研究が未熟で測定値も少なく,判らない場合がある.
判らないときには「判らない」とハッキリいうのが学問というものである.北極の氷の面積は1978年からしか判っていないのだし,世界中の気温が測定され始めたのも最近である。
推測はできるが科学的判る段階ではない.その点では,温暖化するとも,寒冷化するとも言える。
そして「温暖化を防がなければ将来に禍根を残す」というなら,「寒冷化を防がないと餓死する人が増える」という確率は同じぐらいだ.科学で決められないものを,自分で勝手に決めてはいけない.
(平成21年8月18日 執筆)