このシリーズは人気がない.タバコという現代社会では誰でもイヤがるものを,正面から取りあげようとするのだから,人気がないのも仕方がない.

これまでの論旨は,

1) 現にタバコを吸う人がおられるし,その人を見ても,どうも私より人格が高い人がおられる。自分と考えが違うから,相手を「間違っている」と言うのは遠慮される。

2) タバコを吸って本人が被害を受ける場合もあると思うが,個人の自由だから,それを社会が排斥できるのか?

3) 副流煙(タバコを吸わない人が吸っている人の煙の被害を受ける)というのは科学的には曖昧で,また被害も小さいのではないか.

ということだった.

だからといって,タバコを吸わない私が「タバコを吸ってもよい」という結論を出そうとしているのではない.議論ができないタブーに切り込んでいるだけだ.

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今日は,神奈川県で進んでいる「海水浴場での禁煙」について考えてみたい.

神奈川県では,県知事の趣味(?)で海水浴場は禁煙にするという条例をつくるという.すこし踏み込みすぎているような感じもするが,あり得ることだ.

この話で,もっとも私がカチンと来たのは,まず,その「罰則」である。

海水浴場でタバコを吸い,それをパトロールに摘発された人は,その罰として「清掃活動」をさせられるという。私なら死を選ぶ。

人間には魂がある.というより人間は魂の存在であり,肉体は借り物に過ぎない.そして清掃活動は社会的な仕事としては立派だが,刑罰としてさせられるのは耐えられない.

もう一つは,「被害が無いのに規制する」のだから,「条例」で人の趣味をどこまで決めることができるのかという問題である.

神奈川県の知事はお酒を飲み,時には飲んだくれて人に迷惑をかけたことはないのか? 歳を取ってから海水パンツをはき,海岸線を散歩して,老害を晒したことはないのか?

海岸でタバコを吸い,近くにいる人がその副流煙で健康被害を受けることは皆無である.海岸は常にかなりの浜風が吹くので,副流煙にもし健康被害の可能性があっても,近くにいる人がそれを吸って障害を起こすことはない.

それでは,何を根拠に海水浴場を禁煙にするのか?

汚い,灰が飛ぶ,何となくイヤだ・・・ということだろう.心理学は良く知らないが,禁煙運動をしていると,そのうち,「タバコを吸っている人を見たくない」という感情が高ぶってくるのではないか?

でも,そんな理由で人の行動を制限することができるのだろうか?

かつて,アメリカで「太った人を見るのはイヤだ」ということで差別が行われたことがあった.人種や肌の色などの差別も同じ感覚だ.自分がイヤなことは,禁止したくなる.本当の理由(太っている,肌の色が嫌いだ)ということは言わずに,陰険に追い払う.

でも,もしそうなら,そんなことをする自分の方がこの世からいなくなればよいと私は思う.

「この電車が混んでいるなっ!」と文句を言う人がいる.私はかつて学生に「そんなときには,自分が降りればよい」と教えていた.今のCO2騒動でも,人にCO2削減を言うぐらいなら,私は呼吸をしたくない.

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読者の方からタバコの害についての情報をいただき,2,3の書籍も読んで,ちょうど,タバコのことを考えていた時にこのニュースに接して,また私は「親タバコ」に傾いてしまった.

タバコを禁止する理由は,「本人の健康,副流煙の影響」だったはずで,「タバコを吸っている人は汚らしい」とか「俺は嫌いだ」ということは一言も言わない.でも,今回の海水浴場での禁煙運動を見ると,どうも「健康」という理由などは,ウソのようだ.

私はウソだけは嫌いだ.だから,もう一度,思い直し,考え直したい.今は若干,感情的になっていて,タバコのことを冷静に考えられなくなっている。

新聞によると「右へならえ」方式で,全国の海岸が禁煙になるらしい.理由は述べられていない.

(平成21817日 執筆)