戦争が終わって60年余。この時期になると「なぜ,戦争が起こったのか?」を考える。そして,命を投げ出して日本を守ろうとした若者の魂を弔う。

白人国家がほとんどの有色人種の国家を植民地とした19世紀から20世紀の前半の「狂気の時代」に,日本が有色人種ではほぼ一カ国だけ独立を保ったのは,それに命を投げ出した私たちの祖先がいたからだ.

その人たちの命の上に,今の日本の繁栄がある.感謝してもしきれることはない.

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平和はみんなの願いである。でも,それが願いであるだけでは意味がない.願いが大切だと言う人がいるが,私はもっときびしく考えたい.戦争前も多くの人は平和を願った.でも戦争になった.

その原因はなんだろうか?

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戦前の日本には民主主義がなかった.それが戦争の原因と私は考えている。そして現代の日本は民主主義ではない.だから,また戦争になるだろう.

民主主義とは「民」が「主人」だということだ.だから,まず第一に次の2つが要件になるだろう。

1) 重要な情報がそのまま国民に流れること

2) 判断をする国民が勇気があり,持続性があること

主人が重要事項を判断するときに,情報が操作されるとどうにもならない.人間は情報に基づいて判断するのだから.

私の専門とする環境問題では,主要な情報が政府や一部の利権者が有利になるように,ほとんど操作された。これでは判断は間違う。

また,国民側にも問題がある.それは,あまりに情緒的に流れること,事実を真正面から見ること,自分が主人であって,自分が判断しなければならないという覚悟が不足していること,そして飽きやすく忘れっぽいことである.

これらのことが国民の性質であり,変わらないものであれば,民主主義という制度は単なる頭脳で作り上げた架空の物語だろう。

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「天皇陛下のお言葉は神聖にして犯すべからざるものである」というキャッチフレーズを作ったのは天皇陛下ご自身ではなく,明治時代の側近であったという。それは,国民の統治のための道具であり,事実であることは問わなかった.

今でも,政府や中央官庁の官僚,自治体の人,それに社会の指導者まで,多くの人が同じ感覚を持っている。「民はバカだから,事実をそのまま伝えたら社会は発展しない」と.

・・・本当だろうか?・・・

私はいつも迷う。そしてその結果,「いや,民主主義を信じよう」と思い直して,事実を語る。

民主主義の3番目の要件は,間接民主主義だから,議員が「国民」の側に立たなければならない.簡単に言うと,納税者である国民の代表は税金をもらってはいけないということである.

でも,議員は年間2000万円以上の税金をもらい,黒塗りの車に乗って,絨毯の上を歩いている.彼等は国民の代表ではない.

私は8月の選挙は棄権する。私の選挙区には「税金をもらわず,選挙民の代表として働く」という候補者がいないから,投票に行けないのだ.つまり,選ぶべき代表者になる人がもともと立候補していないから,投票ができない.

民主主義が成立するためには,国民の一人一人が民主主義に対する信頼感があり,マスメディアや専門家がその社会的責任を果たし,議員が税金をもらわないことだろう.

そんな国家になったら,みんなの願いが実現する.もしみんなの願いが「平和」なら「平和」が実現するだろう。

(平成21814日 執筆)