「父の日」はさっぱり注目されないのに,「母の日」は多くの人が関心をよせる.それはそうだろう.父と母では違う。

・・・電話のベルが静かな家の中に鳴り響く。父が急いで電話口にでると,案の定,プロに入って始めて勝利投手になった息子からだ。

「見てた?」

「ああ,良かったな」

「うん,今日は母の日だからお母さんに言っておいて」

「判った.しっかりやれよ」

「うん,じゃ」

父は「あいつからだ」と一言,妻に言うと,さっきからやっていたお酒をもう一杯,なみなみとぐい飲みにそそぐ.

脳裏には小学生の頃から野球一筋でやってきた息子の姿が走馬燈のように浮かんでくる.元気なときもあったがケガで挫折したこともあった.「これを乗り切れば・・・」と願った日は数え切れない・・・

父は感慨にふけりながら,なおも杯を傾ける.その横で妻は「今日ぐらいは仕方がないわ・・・」とそんな夫を見ている。

母というものは息子が「野球に勝った」とか「成功した」と言うことにはほとんど関心を示さない。母が電話を取ったとしたら

「そう,良かったわね。それで,元気?」

と聞くだろう。

母にとっては「野球に勝った」ということはどうでもよく,「野球に勝って息子が喜んでいる」というのが嬉しい。それより何より,元気で張り切って生活してくれるかがさらなる関心事なのだ。

父は「これでこれからのプロ生活に一応のめどが立ったな.これまでの息子の苦労が報われた」と喜ぶ.嬉しいポイントが違うのである。どちらが良いとか優れているというものではない.それが父と母の違いなのだろう。

「たかが野球」という人生の本質を知っているのが母,「されど野球」という人生の現実を強く感じるのが父なのである.

父の日がはやらずに,母の日を意識するのは,「たかが野球」と「されど野球」のどちらが本質的か,それが判るからだろう。

もう一つ,母の日のテレビでは母への感謝の気持ちがおおっぴらに語られていた.

でも,母は「公の場で自分のことを口にする息子」をそれほど喜ばない.政治家はできるだけ自分の名前が出ることが嬉しい.それは「政治家自身」が大切だからであり,母は「自分ではなく,息子が大切」だから,自分のことは表面にでるべきものでないことを知っている.

人生で本当に大切なものは「自分」ではないし,まして「成功」や「評判」などではない.

家族のために生きる母,友人に誠を尽くす友,そして日本のために命を捧げる軍人,それこそが日本人である。

日本の文化は「恩」であり,英語には「恩」という単語はない.

(平成21511日 執筆)