温暖化で深く考えなければならないことがある.

温暖化は,近未来の環境破壊に関係することで,その現象も学問的な手続きもどれもこれも新しいことだから,あまり感情的にならず,ジックリと論理的なことも考えておかなければならない.

論理的に考えるのは,それほどの時間を必要とするものではない.ただ,論理が難しいので,大いに知恵を出し合ってより正しい未来像に到達しなければならない.最初から「温暖化は怖いに決まっている!」と怒ってはいけない.神様でなければそれほど正確に未来を予測することはできないのだから.

まず,第一に考えなければならないのは,温暖化が「被害が出ていない未来の環境問題」であることだ.1990年までの環境破壊は水俣病にしても,ロンドンスモッグにしても「被害が出た過去形の環境破壊」で,患者さんを前にするのだから,紛れはない.

それに対して,1990年からの環境問題は,リサイクル,ダイオキシン,そして環境ホルモンなど,「予測される環境問題」であったが,そのいずれもが予想を外れている。

だから,温暖化も予想が外れるということではない.私たちは「起こってしまった環境破壊」ではなく,「予想される環境破壊」に対して手を打っておく必要があるからだ.後ろ向きになってはいけない.

この概念はすでに1992年のリオデジャネイロの環境サミットで提案され,原則15として認められているが,その原則15の文の中には「科学的な根拠が無くても」という前提が入っている.

その理由はすでに起こってしまった環境破壊でもその原因を確定するのは難しかったのだから,未来の環境破壊に対して正確な予測がさらに困難であるとの考えだったからであるし,それは今でも変わっていない.

リサイクルは「もしリサイクルしなければ8年後に廃棄物貯蔵所が満杯になる」と予測し,実際にはリサイクルしていないけれど,廃棄物貯蔵所は満杯になっていない.

リサイクルの場合は,もともとこれまでの学問・・・つまり熱力学の第二法則とか,材料工学,分離工学などの知見に反する行為だったので,「科学的に根拠が無く」というのではなく,「科学的知見に反すること」だったので,予想が外れるのは当然でもあった。

ダイオキシンは人間に対する毒性が判らないうちに,社会的に毒物にしてしまったという錯誤の問題であるが,まだ予防原則や科学的予測の不確実性というものに慣れていない社会としては勉強の段階だったと思われる。また,環境ホルモンはデータの取り扱いに故意,あるいは間違いがあったので,すぐに終焉した.

では,温暖化はどうだろうか? リサイクルやダイオキシンに比較すれば,大がかりに研究をしているし,過去の知見も多い。だから,リサイクルやダイオキシンの予測が外れたから,温暖化の予測が外れると言うことはない.そんな後ろ向きの考えでは科学は発達せず,私たちの子孫も困るだろうからである。

そこで,私は,これまでの失敗をよく反省して,温暖化について失敗しないように次のような論理を考えた。

温暖化については幸いなことに国連がIPCCという機関を作っており,そこで大勢の学者が文献を整理し,討論し,そして報告を出している。だから,まずIPCCの報告書をしっかり読んで勉強し,それを伝えようと思った.

科学的な訓練を受けていない人でもIPCCの報告書が理解できないわけではないが,英語もしくは日本訳ともに難しく,表現が練れていないので理解は難しいかも知れない.

また,NHKがIPCCの報告を忠実に報道していれば良いのだが,それはまったく期待できない。事実としてもウソ(知っているのに誤報をすること)をつき続けているので,参考にならない.

そこで2007年3月まではIPCCの第三次報告を,それ以後は第四次報告(最新)を読んでみた.報告書は詳細なものも含めると膨大であるし,さらにその元文献まで当たると大変なので,まずは正式な報告書を理解することにした.

最初にビックリしたのは,すでに私の本などで明らかにしているが,「南極の氷は減っていない,温暖化すると南極の氷がふえる」と記載されていることだった。第三次報告までは文章では明確には書いていなかったが,示されているデータを整理するとそうなっていた.NHKは全く逆の報道をしていた.

北極の海氷は海に浮かんでいるので,融けても融けなくてもほとんど海水面には影響をあたえない.この段階で本を書いたり,テレビで解説をしたら,たちまち「温暖化懐疑派」というレッテルを貼られたし,テレビでは「異端児」とか「武田,独特の考えを述べている」と紹介された.

私のIPCCの解説を聞いて「懐疑派」とレッテルを貼ったのはIPCCに関係している人だったので,私にとっては二重の驚きだったし,IPCCの報告書の解説をすると「異端児」になるというのは,いかにIPCCに関係している日本の学者がIPCCと違うことを解説していたかの証拠にもなった.

私は日本人はまずIPCCの報告書を勉強することから始めなければいけないと考えているが,なぜIPCCに関係する人がIPCCの報告書が正確に伝わることを忌避しているのか,理解はできていない.

ところで,北極,南極のことがあって,科学的には「温暖化で海水面があがる」という理由が分からなくなってきた。つまり,地球上はその3分の2を海で覆われているから,その海を1メートルも上げようとすると,相当な量の「水」を必要とする。なにしろ,お風呂に水を張るのでも結構な水がいるのだから,太平洋を1メートル上げると言うことになると,世界地図を見ても,その「水源」が見あたらないのである。

あるいは将来は,南極の何処かが大崩壊するとか,数1000年も経てばグリーンランドの氷が融けると言うこともあるが,現在はまだ南極の氷も大規模に融解していないしグリーンランドも同じだ.つまり,これは私の判断ではなく,IPCCが北極,南極は関係なく,グリーンランドの氷についても大きな融解はないと報告しているのだから,この段階で海水面を上げる水源がないとするのが科学的には納得性がある。

そこで,「海水面はそれほど上がっていない.30年後でも10センチがぐらいだ」と本に書いたら,これもまた強烈に反撃された.もちろん海水面の高さは広い太平洋だからどこでも同じではない.部分的に上がっているところも下がっているところもあるし,海水面は陸地の沈下や隆起との関係もあるから,さらに難しい.気象庁のデータでは日本の平均潮位が高かったのは今から70年前の1940年ごろだ.

でも,今でもNHKは教育テレビなどで「温暖化でツバルは沈んでいる」と報道し,日本政府やIPCCの関係者は積極的に打ち消す発表はしていない.

いずれにしても,将来はともかく,現在はまだ温暖化の影響はそれほど顕著ではないし,それはIPCCの報告もそうである。そして「現状を正しく認識する」というのは科学の基本であり,今の日本のように「現状を正しく認識すると,将来の備えが不十分になるので,発言してはいけない」などという「先走った」考え方は到底,採用することはできない.(私には国民をバカにしているように感じられる.)

またIPCCは100年後に世界の平均気温は約3℃程度上がると予測している。これも私はそのまま受け取って,30年後に1℃程度としている.CO2が増えるのだから,程度問題はあるにしても気温は上がるだろう。

この段階で理解したことは,IPCCの報告書で書かれていることは,少なくともここ30年はそれほどのことはないが,100年後ぐらいになると危険になると理解した.また予測の揺らぎや気象そのものの持つ変動から見て,あまり短期間の話やある地方に限定されるようなことを言うのも控えなければならないという印象も持った.これも私がこれまで研究してきた物理やその他の学問と相反することではなかった.何しろ,陸地(固体),海(液体),それに拡散が速い大気(気体)の混合体であり,さらに太陽や雲などの複雑な系だから当然でもある.

私は「温暖化懐疑派」とレッテルを貼られ,厳しい批判に晒されているが,IPCCの報告書をそのまま勉強したら,懐疑派として批判に晒されるのが現代の日本であり,それはNHK帝国だからだろう.多くの専門家はNHKに出演させてもらえないことを恐れてNHKの間違いを直さないし,政府はNHKが視聴者より政府の意図通りに報道してくれることに満足しているから,これもNHK批判などはできないし,しない.だからNHKが「反IPCC」である限り,私が「IPCC懐疑派」になるのは必然的である。実質的な憲法違反ですらある.私は自分の意志で,憲法違反をしたくはない.

次に,「温暖化でどのような被害がでるか」という第二作業部会を中心とした報告書を読んでみた.被害は「大陸」と「海洋」では違うし,場所によっても違う。また,寒冷化する場合については研究もあるが,温暖化の影響についてはそれほどの学問的蓄積も無いので,データも断片的であり,IPCCの報告書の記載もバラツキがある.しかし,人間はその時の最善の知識で判断する以外にはないので,第二作業報告のとおりに理解をした.

それによると,次のことがわかる.

1) 第二作業部会の報告には「東アジア」という節があるが,その中では日本の被害については記載されていない.日本はIPCCの主要なスポンサーであり,IPCCはスポンサーに対する報告の義務があるから,日本の被害はまだ判らない段階であることが理解される.

2) 世界には,大きな被害が予想される国や地域があるが,そこではほとんど「CO2削減」などの措置をしていない.

3) 温暖化すると食糧増産や北国の生活など改善されることが多いが,それには少ししか触れていない.日本のIPCC関係者によると「被害しか算定しない」とする人もいる.

また,ここでも難しい問題が持ち上がる.日本に対する影響を最初に勉強して,それを発言すると「日本だけでよいのか!」と反撃を受ける.そんなことを言っているのではなく,単に「日本の被害については,あまり具体的に報告されていない」と言っているだけである。

そして,私は日本に住んでいるので,まずは,「なぜ,日本の被害についてIPCCは言及していないのだろうか?」というIPCCの報告の内容を理解しておかなければならず,私は現在は「日本は四面を海に囲まれているから」と解釈している。

このこともそれほど特別な解釈ではない.もともと,水と空気では熱容量(熱を抱く力)は3500倍も違うし,夏に海水浴に行くと気温より水温の方が低い.また海洋性気候は変動が少ないことは小学校か中学校で勉強した.だからIPCCの第二作業部会の報告も素直に理解できる。

問題なのは,「なぜ,被害が予想される国がCO2を削減しないのだろうか?」ということだ.これは二つに分けて考えなければならない.一つはすでにCO2を大量に出してきた先進国で被害が予想される国であり,第二に開発途上国である.

アメリカは大きな大陸でハリケーンの被害などが予想されているし,ヨーロッパはメキシコ暖流の変化などでこれも危機が予想されている.しかし,アメリカはCO2を削減していないし,ヨーロッパや見かけはやっているように見せているが,その実,1990年基準をいう特殊なCO2の計算方式をとったり,EU内で調整枠を設けたりしている。

どうも,アメリカもヨーロッパも心の底から温暖化を心配しているようにはみえない.そして,ここでも国内には変な現象が見られる.それは私がアメリカやヨーロッパを批判すると,身内(日本人)から攻撃が来ることだ.「京都議定書をもとに実質的にCO2の削減をしているのは日本だけだ」と発言すると「ケシカラン!神聖な京都議定書を批判するなんて」と批判される.本当にCO2を減らさなければならないと思っているなら,アメリカはもちろん,ヨーロッパが自分たちに有利な基準を持ち出したことに批判すると思うのだが,批判の矢はこちらに飛んでくる。

私が「京都議定書はすでに破綻している」と言うと批判されるのは,事実を認めたくないということが理由だろう.私は温暖化懐疑派でも擁護派でもないが,もしIPCC派というのがあるなら,CO2を減らそうと思っているのだから,京都議定書が破綻しているという事実はとても重要なことのはずだ。

一方,開発途上国については難しい.被害が開発途上国に及ぶと言っても,その原因を作ろうとしているのが先進国だという途上国の理屈は「人間は平等である」とか,「国家は主権を持っている」ということを前提にすれば,当然でもある.でも,被害を受ける国はもう少し積極的になって先進国を責めるはずなのだが,国際会議ではやや消極的である.どちらかというとIPCCは先進国の人が中心になり,あたかも「途上国の発展を押さえる」という印象があり,現実にも途上国はそのように発言している.私はこのことを「まだ,みんなはIPCCの結論をそれほど信用していない」と解釈している.それ以外の解釈が思い当たらない.

また,日本国内も怪しい.政府と経団連が「産業界はCO2削減に応じない」という密約を結んだが,これについてもIPCC関係者はなにも発言しない.IPCC関係者は発言しにくくても,温暖化を本当に心配しているなら,この密約はできるだけおおっぴらにして,対策を急ぐ必要があるからだ.

ここまで,私の第一段階を整理してみる。

1) まずIPCCの報告書を勉強する。

2) 今後,30年で1℃程度あがる.

3) 海水面はほとんど上がらない.

4) 日本は被害を受ける可能性は低い。

5) 京都議定書は失敗して,温暖化阻止には役に立たない.

6) 被害が予想される国は積極的ではない.

7) 被害を受けにくい日本がもっとも積極的に見える。

8) 政府と経済界は経済成長優先で,やる気がない.

この8つは紛れがないから,IPCCの関係者も私も,そして懐疑派と言われる人も合意できるだろう.

次の段階として,私は「科学的に予想されることが,なぜ不確かなのか?」を整理する目的で,IPCCと異なる考えの人の紹介と私自身の疑問を整理して,本に書き出した.時期としては2008年の夏頃からだ.

もしNHKがIPCCの報告書のまま報道していたら,私は「温暖化はもっとひどくなる」という学説と,「温暖化はたいしたことは無い」という学説を併記しただろうが,なにしろNHKがIPCCより過激な報道を続けているので,私の記述はNHK部分は必要なく,単にNHKがIPCCと異なる報道をしていることだけを指摘すれば十分であった.

リオデジャネイロの環境サミットで,「予測問題は科学的根拠が薄弱」としたのは,学問は将来に対して予測できないという基本的な問題点を含んでいるからだ.多くの人にとっては学問が将来を予測できないというのは意外な感じがするが,学問をしている人にとって見ればそれは当然でもある.なぜなら,学問というのは「現在,まだ未知のことを発見するか,今までの間違いを修正する」というのが主たる任務だからだ.もし自分の学問領域ですべてのことが明らかになり,また間違いが無ければ研究というのは存在せず,単に「作業」が残るだけである.

作業は作業で重要だが,少なくとも「研究」という名前はつかない.単に作業をするだけだからだ.コンピュータを使ったシミュレーションでも,すでに方程式も,近似の仕方も,コーディングも決まっていれば,アルバイトの学生でできる.でも,まだ不確かだから判断力のある専門家を要する.

つまり,気象学ばかりではなく,100年後の気温を予測するにはまだまだ未知のことは多い.未知のことが多いと言うことは,予測に間違いがある可能性があるということだ.

そこで,70%から80%はIPCCが正しいとして,より確実性を出すために,異なる学説を紹介することにした.その最初の書籍の原稿を書いているときに,そのチェックを頼んだ「温暖化懐疑派」の人から「武田先生はIPCCのデータを使っておられるのではないですか?」と言われた.日本社会が正しく学問を理解せずに,対立関係で捉えるクセがついているからだろう.

IPCCと違う考え(温暖化やCO2の影響について懐疑的な人)の方としては,アラスカ大学の赤祖父先生,日本では渡辺先生,池田先生,伊藤先生,丸山先生,槌田先生,西村先生などであり,また外国で示されている疑問もあった.またIPCCと違う考え(もっと急速で被害が大きい)の方としては,山本先生,多くの国立研究所の人,住先生,明日香先生,西岡先生,三村先生,小宮山先生などだろう.IPCCと違って急速に被害がでるという考えはNHKを通じてすでに知られている。

自分自身の疑問でもっとも大きかったのは「気温の測定の問題」であり,これは主として近藤先生の教えを受けた.いまでも疑問に思っているのは,これまでの生物の歴史で温暖化は脅威ではなかったこと,CO2は桁違いに多かったが気温は安定していたこと,気温の測定値が正確では無いことなどであった.そして,今でも疑問として残っているのは,現在,100年で0.7℃あがっている気温変化の大部分がCO2の影響だとするIPCCに対して,3分の1は測定の問題,3分の1は人間のだす直接的な熱の問題,そして残りがCO2ぐらいかなと考えている。これはさらにデータが公表されていけば精度を上げることができるだろう.

ところで,温暖化を考える時に,その人の仕事や専門,そして立場などから3つに分類される。まず第一に市民だが,市民は温暖化について「自分の子供の将来を大切にするために,自分が理解できないことをどのように判断するか」という難しい問題を抱えている。また第二に私に代表される科学者だが,科学者はIPCCやその他の研究をどうやったら易しく市民に伝えたり,学生に講義するかという「伝達者」としての役割を負っている。そして第三には温暖化に研究担当者で,おそらくは80%ぐらいはIPCCとほぼ類似の考えの研究者,20%ぐらいは反論があるだろう.

将来のことで,しかも学問の歴史が浅い領域で「反論がない」というのは絶対主義の国家統制科学しかない.どんなものでも科学には異論があり,その異論に耳を傾けることが大切である.また,研究をしている人は「自分の研究結果は正しい」と言うだろう.それも当然であり,自分が研究しているのだから,自説が正しいと主張するのは当然である。

私は長い研究歴を持ち,その中でも大規模プロジェクトも担当したが,その時ももちろん競合する技術があった.だから,時々シンポジウムなどをやってそれぞれの主張をのべるのだが,喧嘩したり,相手を罵倒することなどはなかった.それぞれの研究者は自分の考えが正しいと思っているのだし,それはお互い様だから判っていることだった.

当時の私は,第三の分類・・・つまり研究する当事者だから,自説を主張するのだが,自分の研究に異論があることは承知していた.でも,今は違う。今は「解説者」だから,できるだけ科学的に解説をするのが役割だ.そして間違っていればそれを厳しく指摘しなければならない.科学は妥協するものではないので,間違いは正しておかなければならない.「間違い」と「考えの違い」は違う。IPCCの報告書を偽って報道するNHKは「間違い」であり許すわけにはいかないが,IPCCと違う考えの学者の意見は「間違っている」のではなく「考えが違う」からである.また,私が整理をすると「先生,社会的な運動や役職に就いて下さい」と言われることがあるが,基本的には断っている.それは学者は「自由な立場」がないと制約を受けるからだ.

私は憲法23条のもとで国民から「学問の自由」という権利を頂いている。この権利は社会全体に役に立つから私に特権をくれているのであり,それに対して私には「学問の結果を正確に伝える.配慮してはいけない」という制約があるからだ.報道の自由は表現の自由を持っているマスメディアが,取材などで知ったことを国民に伝えない場合は報道の自由も表現の自由も失う.その点で私はNHKは報道の自由も表現の自由もない単なる一企業であると考えている。一企業が国民から受信料などは取れないから解散するしかない.

それはそれとして,市民は,「温暖化を研究している研究者」から説明を受けることができる。その時には7,8割はIPCCの解説を,そして2,3割はそれに対する異論を聞かなければならない.また,解説者は,その解説者の学問的良心に従って,複数の学説をバランス良く紹介する必要がある.バランスはその個人個人の学者にゆだねられるのがこれも学問の自由の一つである。

そうすると,最後に難しい問題が発生する。もし温暖化が将来のことではなく,現実に被害が出ているなら市民もそれを理解することができるが,科学の専門知識が必要なので,そのままでは理解することができない.そうすると判断をする時に何に基づいてするのだろうか?

まず,何回も専門家や解説者の話を聞いて理解し,自分で判断するという方法である。 市民が自分の判断をするもう一つの方法は「顔色をうかがう」とか,「権威を信じる」というものである.ある番組でリサイクルの放送をする事になり,私と環境省を取材した.それで放送しようとしていたので,私は「私と環境省の顔色をうかがうのではなく,もしできれば局のほうで取材されたらどうか」とアドバイスした.幸い,十分にマスメディアとしての誇りと力をもっている人だったので,放送を3ヶ月延長して報道の方でリサイクルを調べた。そうしたらリサイクルしていないことが判って番組は簡単になった。事実を調べられるものはこのように事実を調べると判る.

でも,学者では無い人が科学的なことで,異なった考えを持つものに対して,どのように情報を集め,さらにそれを判断するかは実に難しいことである.第一に,事実を伝える方が十分に注意をして情報の受け手に正しい情報を伝えること,その時にNHKのように「国民はバカだから,俺が代わりに判断する.お前らはそれに従って置けばよい。俺は報道機関では無く,教育機関だ」というのでは,どうにもならない.その意味で,日本国民は温暖化を自ら判断できない状態にある.

第二に,事実の解釈をするに当たって,解説者が「立場を持たない」ということである.その制約の第一は「発言することに関係したお金を貰わない」ということだ.人間はお金を貰ったらどうしてもそれを擁護する。だから贈賄罪というのがあるし,政治などは特に注意を求められている。それは学者でも同じだ.私は多くの事例を知っているが,お金を貰った人の解説は役に立たない.かならず意図があるからである.このことについて,学会が厳しい考えに立つようになると,日本も近代化されると思う。

日本の市民は,事実をえられない,解説が偏っている,自分では判断できない,しかも将来のことである,というハンディを負っている。仕方がないので,結論だけを聞くことになるが,そうすると複数の結論があって,そのどれが正しいか判らなくなるという状態にある。

私は,「温暖化は大切なことだから,まずは「合意できるところは合意して」,それを国民に説明し,さらに「異なるところはなぜ異なるか」をハッキリさせて,それを国民に説明する」ということをしたいと思っている.そうしないと,民主主義のもとで温暖化を判断して適切な措置を執っていくということはできないと考えられる。

最後に,私の個人的な考えをのべておきたい.これはあくまで科学者としての自分の判断である。

「現在の大気中のCO2は少なすぎるし,気温も低いので,CO2を増やして気温を上げるのは大切なことだ.そして現在のペースでCO2を出していっても日本には大きな被害はないので,30年ぐらいは安心して良い。寒冷化は怖いが温暖化はそれほどの被害をもたらさない.

また,日本はいままでもダイナミックに変化してきて,30年以上,同じ価値観を持つことはなかった.だから30年を一つの区切りにして良いし,30年と言えばある程度の長さだから,気象学的にも予測が可能であるので,まずは30年ぐらいをメドにしたい。

結論として,CO2削減で日本人が「個人として」するべきことはないし,してはいけない.

なお,外国のことは外国が決めるから主権を尊重する。多くの国がCO2削減を始めたら日本も国際的に同調しても良いだろうが,もともと日本の影響は小さいし,日本にとってCO2削減は「良い方向」から外れるので,また議論が必要だ」

という考えである。

私もよくよく考えてのことなので,それぞれの結論についての理由はあるが,ここでは示さない.すでにネットなどで書いていることも多いし,北国の人も沖縄の人も納得してくれるだろう.

そして,もし温暖化が怖いと思っている人や,人間としてCO2を出すべきではないと考えている人は,その人の考えだから尊重するが,まずは自分で実行するのが筋である.CO2を減らすということは生活の質をおとすことだから,それは個人の判断にゆだねられると私は思う。

温暖化に関係してレジ袋を追放したが,ヨーロッパに一度,旅行に行くとその人の300年分のレジ袋の相当する.だからといってヨーロッパ旅行が悪いということではない.その人の人生はその人のものであり,社会的に許されているものは何を選択しても構わないからである。でも,ヨーロッパ旅行が禁止されないのに,レジ袋を禁止するのは「個人の趣味を全体に強制する」ということになり,少なくとも私の考えとは違う。

その意味で日本では東京がもっとも問題と思う.東京はすでに3℃も上がっていて,国会もNHKも「CO2排出を支配できる」ところが集中しているのに,もっとも悪い成績である。NHKに至っては80%もCO2を増やしている。個人を攻撃したくないが,東京はみずから何とかする意志はないのか,それとも「自分の人生はデラックスに過ごしたいが,田舎は我慢しろ」という理屈なのか,ハッキリ発言したらどうだろうか?

IPCCのことを中心として,気温の変化,海水面,温暖化による影響を整理し,京都議定書の事実を説明する私に対して,「武田「独特」の考え」と言う社会はどこがねじれているのだろうか? そんなことより,私たちはこの難しい問題に対して,

1) なにが判っていることなのか,

2) なにが不確かで議論になっているのか,

そして,

3)多くの市民に正しい情報と丁寧な解説ができるのか,

という難しい問題に前向きに行動したいものである.

(平成2159日 執筆)