「3日,やったら止められない」というのが「乞食」だそうである. 多くの子供は親から「乞食にはなるな」と教えられる。

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サルの群れに,朝食を十分に与えると11時に起きてくるけれど,少し足りなめに与えると,7時に起きるという。

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霊長類たるヒトもサルも,「働かなくても良い」となれば,働かない.それが人間らしい振る舞いであり,サルの習性でもある。

補助金を貰うというのは,自分の収入が不足しているとか,製品の性能が悪いということが理由で,他人様のお金をもらうのだから,いわば「乞食」の始まりである. 国策で大きなことをするなら分かるが,個人のことで,補助金をもらってビジネスをしたり,テレビを買ったり,車を買ったり,まして太陽電池を設置するのは,乞食の第一歩のようにどうしても感じる。

その時だけは30万円も得をしたと錯覚するだろう.でも,そのお金は他人が汗水垂らして稼ぎ,その結果,納めた税金である。 もともと,お役所がお金を持っているわけではないのだ.

一度,他人のお金で生活をするようになると,なかなかそこから抜け出せない。

結局は,自分の体の中にある「頑張ろう」という気持ちや勇気を失って,没落する。その意味では補助金は,すこし言葉が厳しいが「悪魔のお金」と思ってもよいだろう.

まして,太陽電池も,自動車も,自治体より大きな会社が開発し,製造している。 もしまともなビジネスなら補助金を断るはずだ.

また,これまで「エコ」とか「節約」,または「もったいない」と他人を説得していた人はどうするのだろうか? その人の信用とは常に同じ言動をとることだ.

景気が良ければ「もったいない」,景気が悪くなって消費が下がったら「もっと買う」というのでは,何をしているのか分からない.これを私は「平和の時の平和主義」といっている.

何もないときには「平和が大切」といって,どこからかミサイルが飛んでくる可能性がでてきたら「軍で攻撃」と代わるのなら,なにも考えはないということだ.

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でも,なぜこんな社会になったのだろう? 下手したら,「日本人,総乞食時代」になろうとしている。 だれもが他人のお金をちょうだいして,何とか得をしようとする。 誇り高き大和民族が,浅ましい考えになったものだ.

実は,この責任は国民側,つまり我々側にある。我々が,老後や環境におびえてお金を余らせるので,お役所が使うしかないので,国債を発行して国民に配る.

還付金1万2千円を渡して,12万円をとるという仕組みだし,その国債を償還するために消費税を増やす・・・なかなか難しい話だが,議論はない。 すでに議論をする力を失ってしまったのだろうか.

(平成21410日 執筆)