風が激しく吹いている。轟々たる風の音が峠に響き、木々がそれに耐えられないようにしなる。さすがに自然の力は大きい。

そこに美しい風車が立っている。荒野の風車は絵になるし、風車に発電機を付けておけば電力が生まれる。素晴らしいことだ。そこで、「風力発電は環境に優しい発電」と言われるようになった。

「風という自然エネルギーを使うのだから環境に優しい」と信じている人もいる。そこで「風力発電」について少し深く考えてみよう。

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その前に、同じ自然エネルギーを使う水力発電について勉強する。水力発電は「自然のエネルギーを使う」という点では風力発電と同じで、昔からあるので勉強するにはちょうど良い教科書になる。

山の上に雨が降り、それが集まってせせらぎとなり、やがて大きな流れとなって川になる。激しく流れる川は大きなエネルギーを持っている。

ダムを作ってその流れをせき止め、水力発電所を作れば、そのエネルギーから巨大な電気をえることができる。そうすれば、電気を作るのに石油や石炭も要らないし、煙も出ない。おまけにダムをつくれば川の氾濫も防げる。

一石二鳥だ。

という理由でダムと水力発電が多く作られた。日本の代表的なダムとしては黒部ダムがその一つ。そして世界的にはエジプトのナイル川に作られたアスワンダムとアスワンハイダムが有名だ。

富山県にある,巨大な黒部ダムは戦争ですっかり焼け野原となった日本が、急速に復興していた頃の昭和31年、関西電力が中心となって黒部川第四発電所の建設に挑んだときに作ったダムである。

通称「クロヨンダム」と呼ばれて親しまれたこのダムは、立山連峰と後立山連峰にはさまれたけわしい黒部峡谷の中にある。雨の多い気候、豪雪、そして地形、できてしまえば美しいこのダムも作るのは大変だった。

ダムは作るときに大量の材料がいるので、まずその材料を運ぶ道路を作らなければならない。コンクリートの原料の砂利、砂、そしてセメントはもちろん、鉄筋、それを組み合わせるための足場を運ぶ。さらに工作するための機械もいる。

機材を運ぶためのトラック、トラックを運転する人、作業場、作業場の料理人・・・クロヨンの時にはじつに「延べ1000万人」が働いた。ダムの建設には7年、日数で言えば2500日だった。

「延べ人数」というのは「クロヨンを作るのに働いた全ての人を働いた日数を掛けた数」ということなので、すこし判りにくい。そこで,一日あたりに直してみると平均4000人の人が働いた計算になる。すごい数だ。

しかも、言葉につくせないほどの難工事だった。ある時は厳しい寒気に晒され、ある時は突然、激しい水がトンネル内に溢れて、逃げ場を失った仲間が命を落とす。特に黒部は日本の巨大断層フォッサマグナにかかっていたので、難しかった。

とくに「破砕帯」と呼ばれる地層を貫いて作らなければならなかった全長5.4キロメートルの大町トンネルのでは、4℃という身を切るような水、落盤、土砂崩れなど、ありとあらゆる困難がひとびとを待ちかまえていたのである。

犠牲者が次々とでる。水が突出し、天井が崩れる・・・遂に、あまりのことに工事は中断。「もうだめだ」と思うこともあった。たった一本のトンネルを掘るために、10本もの「水を逃がすトンネル」を掘なければならないという有様だった。

そんな難工事中の難工事もついに終わり「大町トンネル」が昭和32年5月に開通したとき関係者の喜びは爆発した。 苦労をともにしたとき、その苦労が大きければ大きいほど、喜びも大きい。

もし、人間の心がもう少し単純なら,そして単純になることができれば毎日を楽に暮らし、そして同時に深い感激や喜びに浸ることができるだろう。でも、人間はなかなかその域に達しない。

苦労して作ったクロヨンダム。その威力は大変なものだった。

昭和30年というと家庭に電気洗濯機が普及し始めた時代で、それまで家庭で使う電気製品といえば、電灯とせいぜい電気アイロンだけだった。電灯はいつでも使えたが、アイロンを使うときには電気会社に断ってから使うという状態だった。

電気の無い昔は大変だった。後藤 絹(キヌ)さんという人の人生の記録がインターネットにのせられているが、16歳で嫁に行き、結婚式の3日後から洗濯をさせられる。

冷たい水。石けんを使わせてもらう時はまだ良いが、倹約のためにかまどの灰を使う。16歳から毎日、毎日、冷たい水で洗濯をしつづけてきた手はかさかさになり、アカギレが走る。その傷にまた水が染みる・・・辛い毎日だった。

「電気洗濯機」や「瞬間湯沸し器」はそんな苦労をなくしてくれた。手でする洗濯は重労働だ。でもそれだけではない。家事に追われている間に、その人の貴重な人生の一日はなくなってしまう。

朝、起きたらすぐご飯のしたく、あと片付け、お掃除、そして洗濯・・・と家事はきりがない。おわれているうちに、あっという間に夕方になる。そうして一日、一日とすぎていく。

もちろん、いつも健康で体の調子が良いとは限らない。風邪を引くこともあれば、高い熱が出ることもある。それでも休むことはできない。赤ちゃんがいればオシメを洗っておかなければ、赤ちゃんのお尻は赤くかぶれてくる。毎日、毎日が生きることで精一杯だった。

クロヨンダムはそんな人たちに幸福をもたらした。特にクロヨンダムからの電気は寒い雪国・北陸の人たちにとってはありがたいものだった。

でも、川をせき止めてダムを作れば、ダムの上流から流れてくる土砂も同じようにダムでせき止められる。人間の勝手な希望では「水だけをせき止めたい」ということだが、実際には水と一緒に流れてくる土砂もダムでせき止められる。

土砂は貯水池にたまり、土砂が貯水池を埋めてドンドン貯水量が減ってくる。そこで新しいダムには「排砂ゲート」をつけることになった。時々、このゲートをあけて貯水池の中にたまった砂を出そうと言う考えだ。

1991年12月、最初の排砂が行われた。ダムの下から勢い良く吐き出される砂。作戦成功だ。

ところが、吐き出された砂は真っ黒。しかも鼻を突く異臭!?何年かにわたってダムの下に積もっていた落ち葉が腐り「硫化水素」という黒い、有毒な化合物が発生していた。

もう、後戻りはできない。

水門は開けられ、そこから汚染された大量の砂が勢いよく川を下っていく。下流の魚や小さい動物は根こそぎ殺され、黒い水は富山湾に流れ込んだ。

調査結果によると、この時に富山湾で死んだサザエやアワビは1万匹以上に上ったという。人間がダムから電気をとれば、その分だけ自然が痛むのはしかたがない。

一石二鳥」とはいったい,誰のことを考えたものだったのだろうか?

(平成21318日 執筆)