ツバルは泣いている.

今から400年も前のことだ。 それまでサンゴ礁にはマングローブの木が茂り、その上に家を建てて人々は生活をしていた.

地上の楽園、自然の中の人・・・それがツバルだった。 月に何日か来る大潮の時にはすっかり島は海の下になったけれど、それはそれで自然だった.

そんなツバルに異変が起こったのは16世紀。スペイン船がはるか沖にその姿を見せたときだ。 それからというもの,突然、夜になるとスペイン兵がツバルを襲い、住民を奴隷として拉致する。

それは悲惨なものだった.泣き叫ぶ家族、そんな中を容赦なく一家の働き手を奪っていくスペイン兵・・・そんなことが300年も続いた.

自然は一ヶ月に数日,ツバルの大地を水で覆うだけだったが,どう猛な人間は幸福な生活を根底から破壊したのだ.その理由はただ一つ,「奴隷を持てば,俺は楽になる」と言うことだけだった.

やがて,主役は交代し,スペインの衰退とともにイギリス軍が進駐、ツバルを植民地にする。今度は合理的にツバルの富を奪い始めた.

そしてさらに20世紀の中盤になると、主役は日本軍からアメリカ軍へと代わり、ブルドーザーがうなって1500メートルの滑走路を作り、その盛り土で周辺のサンゴはすべて死滅した。

しばらくは、サンゴの死骸でできた滑走路からアメリカ軍のグラマン戦闘機が北西の方向に飛び立っていたが,それも1945年8月には終わり、ほんの数年,ツバルは静かになったように見えた.アメリカが信託統治を始めた頃だった.

しかし,それも長くは続かない.やがて,アメリカは「自分の国で原爆や水爆の実験をやりたくない.他の国でやれば俺たちは被爆しない」という論理で、ツバルの近く、マーシャル諸島で67回もの原水爆実験を繰り返したのだ.

日本では第5福竜丸が被爆したが,ツバルの近海では多くの人たちが被爆し,死んでいった.日本を始め先進国は自分の国のことだけを考えて手をこまねいていた。今の日本ではそんな残虐行為をしたアメリカを尊敬している人すらいる。

そして,1979年,ツバルは独立し、自分たちの国土と人生を自分たちの意志で決めるようになった.スペイン船の襲来から実に400年を経ていた.

さらに,今,ツバルはあのアメリカ軍の「盛りサンゴ」が崩れ,大潮の時には島全体が沈みつつある。これこそかつてのツバルであり、400年前に戻りつつあるのだ.ツバルにとって「沈む島」は彼らの祖先の土地への復帰なのだ。

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もし日本の子供にツバルを教えるなら,3つのウソ・・・「南極が温暖化し,氷が融け、海水面があがり,」と言うのではなく、海水面は変化がないのだから,1つの真実を教えればよい。

「ツバルの人たちは,400年間,奴隷になり,戦争で国土を破壊され、原水爆実験の下で苦しみ、今,やっと国土がかつてのように水没するようになってきた. だから,水没は問題では無いが,私たち先進国はこの400年のツバルの人たちの苦しみを償えるだろうか?」

日本人,アジアの一員として,ツバル問題というのは,上がってもいない海水面のウソをつくことではない.白人が400年間,やってきたことをそのまま認め、国際世論を作ることだ.それはCO2を減らすことではないのは明らかである.

(平成21131日 執筆)