約2年ほど前,ペットボトルやプラスチック容器がほとんどリサイクルされていないこと、それに膨大な税金を投入していることを指摘した.
それ以来、このネットにも,また日経エコロジー,朝日新聞などにもかなり詳細に説明をしてデータも示しているのだが、未だに「陰で」「武田のデータはおかしい」と耳打ちする人がいる。
耳打ちされた方は気になるので、そのたびに私に聞いてくるというのがまだ続いている。 もし問題があるなら,言論の自由があるのだから、真正面から議論すれば良いが,なにしろ匿名でいろいろなところに言い回っているようだ.
じつに姑息だ。
そこで,善良な人が迷うので,念のためもう一度,「ペットボトルやプラスチック容器をリサイクルするのにどのぐらいの税金を使っているか」を簡単に示しておこう。
平成17年度中央審議会の部会に「市区町村費用の変化分の全国集計結果」という表が掲載され、そこにペットボトルで596億円,プラスチック容器包装で807億円とある.この報告書の内容も目を通している。
これは2004年度であるが、この年のペットボトルのリサイクル量は,(財)日本容器包装リサイクル協会の発表では14万7千トンであるので,1kgあたり405円ほど掛かっていると私は言っている。単なる割り算である.
またプラスチックの方は,材料としてリサイクルしている量は約8万トンなので,キログラム1009円になる。
一方、リサイクル品ぐらいの品質のプラスチックなら、2004年はまだ原油が高くなる前で,キログラム100円を超えることはまずない.つまり,リサイクルでは,ペットボトルで石油から作るより4倍以上,容器包装プラスチックで10倍以上はかかっている。 もの凄い石油の無駄使いだ。
しかもこの費用の中には個人が分別するのに使った袋や手間、業者がリサイクルに使ったエネルギーなどは入っていない.自治体が集めて業者に渡すところだけだ。
石油製品などが安いのは,人件費の占める割合が10%程度にしかすぎないからで、ほとんどが装置、エネルギー用益費,原料費などであるので,仮に「人件費は環境負荷にならない」という非現実的な仮定をおいても,到底,リサイクルが資源の節約になることはない.
また,リサイクルするために使用した費用が4倍から10倍の場合、平均的にはゴミも4倍から10倍はでるので,ゴミに節約にもなっていない。 おそらく「税金はいただくもの」ということで,今までやってきたから,税金を使って石油を買ってもそれは石油の消費に入れていないのだろう.
しかし,しっかりした根拠を示して循環型社会を論じている私を批判するほどの力があれば,正々堂々,名乗って反論したらどうだろうか? 意地汚いという感じがぬぐえない.
ところで,正々堂々,リサイクルをしているアルミは,いつでも資料を提供してくれるし、プロセスも全部見せてくれた。ペットボトルもプラスチックも今まで見せてもらったことはない.いつも「商売上の秘密」を盾にして拒否されてきた。
「税金を大量に投入しているのだから」と言ってもダメだ。 自治体もまったく何にどのぐらい使われていて、それにどの程度の費用をかけたかは全く調べる気がない。
歪んだ社会になったものだ.こんなリサイクルを子供には「環境によい」として環境教育に使っている. すでに紙のリサイクルで大規模偽装が発覚しても,それすら子供に伝えない.
つまり,子供を税金をもらうダシに使っているのだから,本当に子供が可愛そうだ。
どうも,私は「環境懐疑派」に属しているらしい。 「環境派」というのはどういう人を言うのかというと、「リサイクルでも温暖化でも,結果は気にせず,とにかく自己満足でやる人を環境派」らしい。 本当にリサイクルしているのか,リサイクルが資源の節約になっているのか,そんなことに疑問をはさむのは環境派の人から見るとケシカランことらしいのだ.
ある読者からメールがきて,「私は一所懸命やっているのに,文句を言ってもらっては困る」という.その人は,環境などどうでも良いらしい。環境を大切にするフリだけで良いというような意味のことが書いてあった.私への反撃は「現実にリサイクルしているのに,違うことを言うな」という反撃ではなく、「リサイクルについて文句を付けてもらっては困る」という反撃なのだ。
【資料1】分別収集,選別保管費用(平成17年中央環境審議会部会資料・・・クリックすると綺麗に見えます。
【資料2】 ペットボトルのリサイクル量((財)日本容器包装リサイクル協会)・・・クリックすると綺麗に見えます。
(注) 上記のデータは公的なデータであり,学者としてはそれだけを使うことはできないので,これらと並行して研究室で調査した数字も表示しているが,今回は公的数字で示した.しかし,日本が公的数字だけ議論することは,実に悲しい。政府がインチキをするので,報道の自由と学問の自由がある.だから,本当は学者が公的数字を使うのは問題なのだ。
(平成21年1月31日 執筆)