昼休みに事務所の蛍光灯を消す会社がある.

その理由を聞くと「温暖化防止に協力してCO2の排出を少なくするため」という.そういう社長の本心がもしかすると「経費節減」かも知れないが,ともかくそう言う。

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彼は2児の父で,上の子供は東京の大学へ行っている。 下はまだ高校生だが、これから,まだまだ教育費もかかるだろうし,家のローンも残っている。 だから,家族全員で節約に心がけ,家計を切り盛りしている。

朝、彼が職場から遠く離れた我が家からでるのは7時半,妻は6時に起きて,彼と高校生の娘のためにお弁当を作る。

やがて,彼はオフィスに着き、仕事を始める。 そう,9時から12時まで,事務所は煌々と蛍光灯がつき,そこで生来,真面目な彼は一所懸命,仕事をする.

12時になるとチャイムがなり,彼は愛妻弁当を取り出して,食べ始めようとすると,突然,蛍光灯がすべて消え,新聞も読めないほどの暗さの中で、彼は黙々と愛妻弁当を食べる。

かつての住居は「採光」に気を配っていたが、現在のビルは電気が消えたらほぼ真っ暗になる部屋もある.自然の中の生活からは遠く離れている。

そんな暗い生活で彼を支えているものは,家族への愛情だ。 彼は背中を丸めてお弁当を食べ終わると,そのままウトウトとする.

なんだか檻の中の動物のようだから、たまには外に出てコーヒーの一杯も飲みたい.でも,そんなお金を使うなら,すこしでも息子に遊ばせてやりたいと彼は思う。

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人は,「食べるために働く」のだろうか,それとも「働くために食べる」のだろうか.おそらく,前者が人間であり、後者が家畜だろう(家畜に失礼!).

そして,その会社の社長は,人間を雇っているのか、それとも家畜を使っているのだろうか? そして,労働基準法は従業員を家畜として取り扱って良いと定めているのだろうか?

その日、社長はいつものように近くにある寿司屋にでかける.サラリーマンが行く680円の食堂は混んでいるが,2800円も出すと,ゆっくりと昼食を楽しめるからだ。

会社の収益は社長が稼いだものではない.社長は社長,社員は社員の役割分担があるだけだ.収益も社長が勝手に配って良いというものではない.社長と社員が同じ給料でもまったく差し支えないのだ。

とにかく,9時から12時まで懸命に働いた社員だ。 せめて昼休みは電気をつけ,音楽を流し,できればお茶を出すのが,社長が社員にする「人間としての礼儀」だろう.

社長さん、あなたのために働いている人、あなたにお寿司を食べさせてくれている人は,あの暗いところで黙々と愛妻弁当を食べているあなたの社員なんですよ。

人は「生きるために働く」.そして,「生きている時間は牢獄の時間」ではない.昼食は楽しまなければならず,昼食が終わったすこしの時間も有意義に過ごさなければならない.

私がその社員なら,自分を「家畜扱い」する会社を辞める。でも,家族のために会社を辞めることができなかったら,次の手段として「リベンジ」をする。 家畜はリベンジできないが、人間はリベンジができる。

そう,1時になって午後の仕事が始まり,部屋の蛍光灯がつくと、それから5時までは「一所懸命,働いているフリをして」,会社に損害を与える.」 それが人というものだ.

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私は「環境」という,本来は「人の心を持った運動」を利用して,名もない高校生をイジメ、家族思いのお父さんをイジメる.

そんな社会で生活を送るのはイヤだ。

日露戦争の時、明治天皇は遠く満州で戦う兵士を思って,兵士と同じ粗末な食事をした.側近が「お気持ちはわかりますが,陛下は激務だから」と御願いしても、変えなかった。

(平成21121日 執筆)