ウシには人間のような言葉はない.
「ウシのように黙っている」と言う言葉があるように,ウシは黙っている。
でも,ウシにも哲学があり,優しい気持ちがあり,愛情がある.
それは毎日のように世話をしてウシを育てた人は知っているだろう。
ウシの限界とウシの無限の可能性を.
ウシは偉い。
大昔から人間のために田畑で力を出し,必要な時にはその命を捧げてくれた.
私は偉そうなことを言っているが,ウシに比べると劣る。
私はウシどころか他人に命を捧げる勇気もないからだ.
かつて,イギリスではウシを屠殺すると,それなりに丁寧に葬った。
それがいつの間にか・・それは「環境」とか「リサイクル」という言葉が流行し、
「心」より「効率」が重んじられるようになってからだが・・・
牧場では屠殺したウシの体をそのまま葬るのは「もったいない」ということになった.
リサイクルをして遺骸をリサイクルしてウシに食べさせる.
「栄養豊富な優れた飼料」と言ったのだ。
ウシは共食いを強制させられ、そして数10万頭というウシが狂牛病で苦しんだ.
人間は恩人(恩ウシ)に対して酷いことをしたものである.
でも,人間はさらに残酷だった。
狂牛病が人間に感染するとわかると、可愛そうに看病しなければならないウシを殺し始めた.
「危険な狂牛病にかかったウシをなぜ生かしておくのだっ!」と環境団体は騒いだ。
ウシは恩人である。
その恩人が人間の過ちで病気になった。
隔離するのは仕方がないかもしれない.
でも,大昔から私たちの祖先がどんなに世話になってきたことだろう.
そのウシを病気だからと言って殺す私たちというのはいったい何者だろうか?
病気にかかったウシを治療してあげたい。
それがせめてこれまでウシが人間に命を捧げてくれた,せめてもの恩返しだ.
命を大切にする教育が必要だと識者は叫ぶ。
確かにウシの命に比べれば,人間の命の方が大切だと考える人もいるだろう.
でも,命は命である。
命の尊さを感じない人に「命を大切にする教育」などできるのだろうか?
ウシは言葉を持たない。
でも黙っているからといって魂が無いわけではないのだ.
(平成21年1月11日 執筆)