かつて,日本は水銀を多用する民族であった.それは,水銀鉱脈が火山と関係し、火山帯の道筋に沿って文化が発達し、権力が誕生したことと無縁ではない。

clip_image002

神社の鳥居を朱色の染めているのは硫化水銀であり、今から30年ほど前には歯医者さんは水銀アマルガムを歯の治療に多用した。 また女性のお化粧にも白降汞と呼ばれる水銀化合物が使われていた。

一方、メチル水銀が神経系の毒になることが1950年代に水俣病の大量発生で大きな社会問題になった.そして水俣病は「会社が水銀を垂れ流し、データを隠した」ということで,あれほど大きな事件でありながら,ことの本質に迫らないまま終焉している.

しかし,水俣病の本質をよく考えなかったことが,後のカネミ油症事件、ミドリ十字エイズ事件,そして最近のアスベスト事件となり,さらに今後も同種の事件が続くだろう。

水俣病で私たちが学ばなければならないのは,「人間の知恵は限界があるから,新しいことをすれば思いがけない危険に見舞われることがある」ということで,それが最も重要であると私は思う。

水俣病が起こるまで水銀はさほど強い毒性を持っているとは考えられず、さらに現在ですら水銀(無機水銀)自体の毒性はそれほど明らかになっているわけではない.

私たちは水俣病が起こり、次の事がわかっただけである。

「水銀を海にかなり大量に放出すると,それが魚の体内に取り込まれ,そこでメチル化されて有機水銀となり,その魚を食べた人が脳神経を犯される」

これ以外のケースで同じように水俣病が起こるかはまだ明らかではない.私たちの知識は一つの大きな事件が起こっても,まだ知識が少ししか増えない。

「水銀は有毒であると思っていなかった」,だけれど「新しい技術をはじめたら多くの犠牲者がでた」ということだ.被害者から見ると我慢できるようなことではない.でも新技術を始める人にとってはどう考えたらよいだろうか?

今,多くの国民が耳元で電波を出す携帯電話を使っている。人間は脳の近くで電波を連続的に使うと脳神経間の伝達に異常を来し、30年後には膨大な数の脳障害者を出すかも知れない.

でも,それは誰もわからない.それを心配して測定に測定を重ねても,脳障害の可能性は見いだせないだろう。

それでは新技術は止めてしまった方が良いのだろうか? そうすれば何も起こらない。でも、それでは社会は許さないし,人間の本質的な欲求にも反する。

人間の知恵は限界がある。 だから人間が新技術を実施したら,必ず危険を伴う。まして,クローン牛とか遺伝子作物が安全だ等とは絶対に言えない。 科学としていうことができるとすれば,「現在の知識では安全です」ということだ.

でも、現在の知識で安全と言うのはなんら安全ではない。 水俣病、カネミ油症、ミドリ十字・・・事件は次々と起こり、会社はつぶれるか大打撃を受ける。

社会は会社が悪いというけれど,会社も自らつぶれるようなことをするわけではない.正しいと思い、新しいことをして社会に貢献しようとしただけだ.でも,「安全だ」ということと,「現在の知識では安全だ」というのを間違った。

どうしたらよいだろうか?

新しい技術は必要だ。だれも携帯電話を手放す人はいない。 でも,たった一つ,よくよくわかっておかなければならないことがある.それは「新しいことは危険が潜んでいることが多い」という事実だ.

新しいことをする人はそれを正直に言おう.

「現在の知識では万全を尽くします.でも,これまでの歴史が示すところによると私たちにはわからないことがありますので,携帯電話を使い,クローン牛を食べる人は,その危険は覚悟しておいてください。」

それが人間の知恵であり、誠だろう。

(平成21110日 執筆)