今から100年ほど前、アメリカで大きな鉄橋を架ける工事があった.その工事は片方の岸から徐々に中央部分にのばしていく工法で行われたが、「計算間違い」があり,工事の途中で鉄橋自体が崩壊した。
「技術に計算間違いが許されるか?」という問いに対しては,ほとんどの人は「許されない」と答える.でも,人間は100%正しく計算するのはなかなか難しい。大学で物理を教えていても100点はほとんど無い。
大学では80点で「優」である.だから20%は事故になる技術者を育てているとも言える。
計算間違いより少し高度なものに「初期の間違い」がある.
上の写真はボーイング737がハワイ上空で機体が吹き飛んだ事故で,外側がない状態でようやく着陸した直後のものである.
この事故は「使用した材料の疲労の研究が不足していた」というのが原因である。つまり,航空機材料を技術的に選択する場合の「初期の間違い」である.
この事故では数名の犠牲者ですんだが,有名なイギリスのジェット旅客機「コメット」では、金属疲労に関する初歩的な間違いで,何回か墜落して乗客乗員はすべて死んだ。
直接的な原因は,材料選定に対する技術的失敗であるが、これが技術者の「失敗」かどうかは難しい。万全と考えられる研究を繰り返しても破損の可能性はゼロにならないからだ.
一方で、犠牲になる方はたまらない。航空会社を信じて搭乗しているのだから,技術的な失敗もやむをえないと言われては立つ瀬がない。
どんなに研究をしても失敗の可能性はゼロにならないし,新しいものは特に危険が大きい。事故が起これば欠陥がわかるがその前はわからない.でも乗客にとっては事故の可能性はゼロでなければならない.
この矛盾をどのように解決したら良いのだろうか?
第一の解決策は「新しいことをやらない」ということであり,第二の選択肢は「新しいことは値段を安くしておく」ということだ.でも,第二の選択肢はそのまま納得するわけにはいかない.
それは第一もそうだ.新しいことをしないというのは人間性に反する。この矛盾はまだ解決していない。
過去の失敗例をできるだけ多く勉強し,できるだけ安全に気を配り、事故が起こったら頭を下げるということが,残念ながら現在の人間ができる最善である。
(平成21年1月6日 執筆)