「国際学力テスト」の結果がニュースに流れていた.ゆとりの教育の結果,国際的な学力がかなり低下したが,その後,あまり変わっていないと言うことだった.
学力が低下したと言っても,まだ世界全体ではほぼ5位程度につけていて,それほどひどく落ちたわけではないが,工業資源のない日本のことだから,学力は大切な資源だ.
その中で,個別の問題では,日本が20位ぐらいになったものもあり,いずれも「論理性を求める問題」と解説されていた.確かに,日本人は論理で考えるというより感覚的であり,論理的な話をすると面倒くさいという顔をする人が多い.
ところで環境問題の中には論理の力を鍛えるのには適当な問題が多い.とにかくあまりに「環境」をすり込まれた日本人は,「論理」を無視して環境を唱えているからだ.
先日,財団法人省エネルギーセンターの「家庭の省エネ辞典」というのを見ていたら,白熱電球を電球型蛍光ランプに代えると,年間84kWhの省エネになり,その分だけCO2の排出が減るとあった.
この計算を「論理的」に考えてみよう.
家庭の電気をこまめに消したらCO2が減るという.「地球温暖化防止に協力するために,電気をこまめに消しましょう」と呼びかけている.
でも,家庭からCO2が出るわけではない.家庭の電気を消すとその分だけ,発電所で炊く石油や石炭の量が減るので,そこでCO2の排出が減るということだ.
「そんなこと,わかっている!」という声が聞こえてくる.でも,実はわかっていない.
白熱球や電球型蛍光ランプをつけて「明かりを得る」時に,どこからCO2が出るのだろうか?
まず,電球型蛍光ランプの原料となる,ガラス,水銀,鉛,封止ガスを作るときにCO2が出る.CO2が出るところはガラス会社,水銀や鉛の精錬会社などだ.いずれも「素材産業だからCO2が多く出る」と時々,非難されている企業である.何か作るのに,CO2がでないわけはない.
次に蛍光ランプを製造する電気会社(東芝とパナソニックが多い)も野原の真ん中でランプを作るわけにはいかないから,工場を建設し,機械や照明器具,エアコンなどを設置する.
建物を造るときにCO2が出るし,機械や照明器具を作るときにもCO2はでる.そしてもちろん蛍光ランプを製造するときにもCO2が出る.CO2が出る場所は,そのたびに違うが「ある行為が結果的にどこかでCO2を出している」という点では,同じである.
かくして,家庭に持ってこられるときの白熱球も,蛍光ランプもすでにCO2をかなり出している.その量はおおよそ「値段」に比例する.100円のランプは100円相当分だけCO2が出るし,1000円のものは10倍ぐらいの資源やエネルギーを使ったのだから,その分だけCO2を出してきたはずだ.
ただ,製造時のCO2を厳密に計算するのは大変で,専門的知識と時間が必要だ.このような計算をしている専門家はそれで税金からお給料をもらっているのだから,普通の生活をしている人が計算をする時間はない.だから,値段でおおよその見当をつけるのが一番良い.
工業製品の値段は根拠無くついているわけではない.会社はコストを下げるのに必死だし,値段はおおよそコストに比例している.値段がコストに比例していなければ暴利だし,競争があればそんなことはまれである.
だから,蛍光ランプは白熱球に対して,すでに10倍弱のCO2を出して手元にくる.つけたときの消費電力はそれからのことだから,平均的なランプの寿命や現実的に社会で使われる時間などを正しく計算することが必要であることは「論理的」に当然である.
そうすると白熱球と蛍光ランプからでるCO2はほとんど同じになる.
84kWh(?)という計算値を出している省エネルギー・センターは専門家集団だからそんなことは百も承知だ.
なぜ,専門家がそんなウソをつくのだろうか?それはさておき,最初のニュースを思い出したい.
小学生には「論理性」を求めると言っている.もし日本人が論理性を持つようになると,CO2の問題はかなりすっきりするだろう.なにしろ「小学生に論理の力がない」と言っている大人が論理性のない社会を作っているのだから.
(平成20年12月12日 執筆)