今からもう10年ほど前,ペットボトルやプラスチック,それに紙などを無理にリサイクルすると資源を浪費したり,ゴミが増えたりするので,気持ちはわかるけれど止めた方が良いと思い,「リサイクルしてはいけない」という本を書いた.

その時に,「ロイヤル島のシカ」を紹介したのだが,話の内容は簡単で,アメリカの五大湖に浮かぶ小さな島に,1908年,オオシカが上陸して生活をしていたのだが,40年後に今度はオオカミが島に進出して,オオカミがオオシカを捕らえるようになったというものだ.

単純に考えると,島にオオカミがいないときにはオオシカは襲われることもなく幸福に過ごし,オオカミがきてからと言うものいつ襲われるかとビクビクして生活をしなければならないと思う.

でも,それはあまりに自然というものを見くびった見方なのだということを示した.つまり,島にオオシカだけがいるときには後先を考えずに,島の草や木の芽を食べ尽くして一時は3000頭になり,食料が無くなって餓死が続いて600頭まで減少した.

やせ細ったオオシカがゴロゴロとその死骸を横たえている光景は,まるで地獄だった.

ところが,オオカミが移ってきて以来,オオカミはオオシカを食べ尽くすことなく,今ではオオカミもオオシカもともに自然の掟の中で幸福に暮らしている.

ある「生物系」の中では,頂点に立つものが「全体をコントロール」する.ロイヤル島は四面が広い湖に囲まれているから,オオカミがオオシカを捕らえようとしたらいとも簡単である.

でも,すべてのオオシカを食べ尽くせば,次の年は飢えて死ぬ.

オオシカは「下僕」だからそれがわからず,オオカミは「主人」だからわかると考えられている.つまり,オオカミには「頂点に立つだけの知恵」が備わっているからである.

それと同じことが,アフリカのサバンナでも見られる.ここでは,ライオンが王様として君臨しているが,ライオンは決して「勤勉に狩りをする」ことをしない.そうすると力が強いのでサバンナの動物はいなくなってしまう.

ライオンはサボりである.そしてオオカミもサボりだ.必要最小限しか獲物を捕らず,持続性社会を維持する.

でも,近代ヨーロッパの思想が世界を席巻して以来の人間には,その知恵が無くなってしまった.人間は頂点に立っているにもかかわらず,毎日,勤勉に働き,生態系を崩している.

どうして人間には頂点に立つ知恵がないのだろうか?

それまで,人間には居眠り,サボり,朝酒,朝風呂,飢饉,皆殺し,疫病の大流行,そして痲薬など「能率的な行動を制限する」ための多くの方法があった.

でも,近代ヨーロッパの知恵は浅はかで,下僕の知恵だった.だから,勤務中に居眠りしたら怒られ,サボれが給料が減り,朝酒,朝風呂は身上をつぶした.

さらに,食糧を増産して飢餓を防止し,平和運動で戦争がおわり,医療を発展させ,痲薬を追放した・・・一つ一つは誠に立派なことであるが,その結果として,「頂点に立つものの節度」を失いつつある.

主人の知恵とは「個別の善悪」では無く,どのぐらい大局的に見ることができるかということである.

(平成20126日 執筆)