裁判員制度が始まり,社会的にはややストレスがたまってきた.今まで,裁判に自分がでて判決に加わるなどということはなかった.それが突如として始まるのだから,ビビるのが普通である.

このことで,少し考えることがある.

先日,ある新聞でレジ袋賛成派の大学教授と紙上で意見を述べあった.その際,私の相手の先生が「自治体が,ゴミを捨てるときに専用ゴミ袋を指定したら,レジ袋ではゴミを出せなくなる」と言われた.

もし,先生に直接お聞きする機会があったら,先生は違う意味で言われたのかも知れないが,私には「お上が決めたら仕方がない」というように聞こえた.

先日,ある県議のグループの方に講演をしたときに,「「あなたには何ができますか?」と問いかけて,分別や町の掃除などをする.もちろん,それも大切だが,民主主義で「なにができるか」と言えば,首相を変える,知事を変えるということだ」とお話をした.

政治家のグループだから,それは当然だと同意していただいた.

でも,まだ日本では形は民主主義というものの,実質は「お上の政治」という意識が強い.日本のお上がそれだけしっかりしていて民衆の信頼を得ていたとも言えるが,今は民主主義の時代だ.

裁判も裁判官に任せておくのではなく,政治も政治家に任せておくのではない.民主主義では彼らは公僕であり,民衆の代理人である.「代議士」というのはまさに「民衆の代わり」であり,民衆そのものだからである.

だから,裁判員制度というのは日本が民主主義の路線を採るなら,歴史的な必然性を持ったものである.ただ,その具体的な方法がアメリカのまねと言うところがあり,それが気がかりだが.

私は今,リサイクルや温暖化の問題で,国民のひとりひとりが考えて欲しいと訴えている.科学,政治,裁判,そして経済など,一つ一つに自分が考えて選択する時代が近づいている.

それはある意味で,知識が必要であり,頭を使わなければならないので大変だが,いずれは人間社会が通らなければならない道と思う.そのためには普段から,良質の情報とそれに基づいた冷静な議論が必要なのだろう.

今の日本の高校生の教育では,是非,科学,政治,法律,経済を自分で考える力をつけて欲しいものだ.

また,日本の将来に向けてNHKなどのマスメディアが,これまでの「国民を指導する」ということから「国民に第一次情報を提供する」という態度に変わることを期待している.

なにしろNHKの温暖化報道のように,国民を事実と違う方向に連れて行くために故意にウソを連発するようでは,いつまでも民主主義は達成されないから.

(平成20125日 執筆)