ドイツの哲学者ヘーゲルの次の言葉は何回、繰り返してもその価値を失わない。大切な言葉はすり切れることはないようだ。

・・・ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛翔する・・・

 ギリシャの知恵の女神、ミネルヴァの横に侍るフクロウは、もともとは知恵がないが、なんと言っても知恵の女神の横にいるので、知恵がついているように見える。「虎に衣を着る狐」のようなものだろう。

 そのフクロウ博士は、朝方は眠るようにジッとしているが、夕暮れになるとやおら飛び立ち、暮れようとする世界を見て回る。なぜ、フクロウは夕暮れに飛翔するのだろうか?

 もちろんヘーゲルはもともとフクロウが夜に活動する鳥であることいかけて言っているのだが、実は、フクロウが夕暮れにしか飛ばないことは、人間の知恵の特徴を象徴している。

 朝、太陽は東から昇り、新しい一日が開けて、すべての活動が始まる。その時に、飛び立つ鳥はどういう鳥だろうか? ヘーゲルの文章の中には思い出さないのだが、私は「夢、希望、そして無謀という名前のついた鳥たち」と思っている。

 その日は何が起こるか、どういう結果になるかは判らないが、それでも太陽が昇るとともに、熱い夢、希望をもった鳥は飛び立ちたくてジリジリしているし、あるいは何も考えていないが、ただ「無謀」という力をもった鳥もいる。

 その鳥たちは、朝方、まるで待つこともできないように勇んで飛び立ち、昼頃になると一羽、そして夕方が近くなる頃、二羽が墜落して地上に哀れな姿をさらす。

 成功したのは三羽のうちの一羽だけだ。

 夕闇迫る頃、フクロウはようやく羽繕いをして女神の横から飛び立ち、上空からその日一日の戦いを見て偉そうにいう。

 「あいつはこうしたから失敗した。こっちで死んでいる奴は判断を間違ったから死ぬのは当然だ。そして成功したあれは・・・」

 フクロウ博士は知恵がある。だから、失敗の原因、成功の理由はすべて理解でき、誰もが納得するように説明ができる。でも、それはことが終わった後、つまり事後なのである。

 なぜ、フクロウはそれほどの知恵があるのに朝、飛び立たないのだろうか?どうすれば成功するか判っているのに、夕方飛び立って解説などをしているのだろうか?

 実は「知恵」は未来を予想することができない。未来は予想外のものであり、昨日までの知恵では見通すことができないのである。学問は整理をし、解説をすることができるが、未来を作り出すことはできない。

 社会が繁栄し、活気があるためには、「夢、希望、そして無謀」な若者が多くいなければならない。「知恵のある年配者」は夕暮れになって解説をするのが役割である。

 でも、心配だ。今、若者に勇気を授ける役割を持っているはずの年配者が、未来を暗く描いて若者から夢を奪っている。

 なぜなら、今の日本は「フクロウの知恵」(ミネルヴァの女神の知恵ではなく、生半可な知恵)があって解説をする人が大きな顔をしている。そして自分は未来を予想できないので、暗いことばかりを言っている。その意味で、現在の日本社会はゆがんでいる。社会が成熟し、固定化し、年配者が若者の活力を奪っているように見える。

 未来には不安はない。それは人間の本当の知恵に対する信頼でもある。

(平成201117日 執筆)