どうも、時間というものは、同じように過ぎてはいかないということを感じ始めるのは、およそ30を過ぎた頃である。それまでは青春の苦い毎日が忙しく過ぎていくだけだから、若い頃は「時」というのはそれほどの意味を持っていないからでもある。

そして、ふと以前より時が早く過ぎるような感じがするのは40だろう。その頃から、時間のスピードはさらに増えて、40台はつるべ落とし、50台は真っ逆さまと思うようになる。

なぜ、時が速く過ぎるようになるのだろうか?物理的にはその答えは容易で、「一時間の間にすることが多くなるから」ということになる。つまり暇なら時はゆっくりと過ぎるが、忙しいと速い。忙しいと言うことは同じ時間で多くのことをするので、その時間が短くならないと不平等だからだと思う。

ネズミは数年しか生きることができないのに、ゾウは長く生きる。だからゾウの方が長く生きた自覚があるかというと、物理的な時間は違うけれど、意識としては一生の長さは同じだろう。

ゾウが体を回して後ろを向くのにはかなりの時間がかかるが、ネズミはその間に何10回も回転できる。もしゾウとネズミが同じ寿命なら、あまりにも不公平だ。その一生で、ネズミは何100回も後ろを振り向けるが、ゾウは数回で終わりになってしまうかも知れないからだ。

ゾウとネズミの寿命は、一生かかってやれることが同じになるように寿命が決まる。

この世はおもしろい。寿命が長ければやることが少ないし、寿命が短ければ多くのことができる。そして同じ寿命なら、忙しければ時が速く過ぎ、暇ならゆっくりと進んでくれる。

新幹線ができると名古屋から東京へ行くのに1時間40分しかかからない。その昔、東海道線を汽車が走っていた頃は、5時間ほどかかった。

だからといって新幹線に乗ると寿命が延びるかというとそうでもない。自分に一日の中の5時間は列車の中にいても、家と新幹線と、そして少し早く着いたからということで喫茶店で時間をつぶしても、5時間は5時間である。

新幹線に乗った方が多くのことができるので、その分だけ旅情を消す。のぞみに乗るとただ眠くなり、そして私の人生から1時間40分が奪われる。

だから「スピードが速くなると、人生の時間は短くなる」という方が本当らしい。

会合にはギリギリに行かないことにしている。ギリギリに行くと、それだけ能率が良く、別の仕事ができる。でも、ギリギリなので、電車の中でも時計ばかりを見ていたり、駅で降りても町並みを楽しむ時間は無い。

ちゃんと、ギリギリに行くとそれだけ仕事ができる分、何かを私から奪ってくれる。実にこの世は巧みなことと心底、感心する。 人生、どう生きても同じなのだ。

かくして、私は会合には1時間30分前、講義なら1時間前、待ち合わせでも30分前には到着する。そしてそこら辺をぶらぶらしたり、喫茶店で時間を潰す。その時間は不思議とゆっくり過ぎるのである。

能率が悪い方が人生は長い。

(平成201112日 執筆)