3連休が終わると、大きなニュースがいくつも報道されている。一つは、自衛隊の航空幕僚長の解任と退職、二つ目は小室哲哉の詐欺事件、そして三つ目はアメリカ大統領選挙投票である。

ニュースの大きさとしては、お金を中心に考えるとアメリカ大統領、日本国というものなら航空幕僚長、そして生活なら小室哲哉というところだろう。

いずれも、背景に大きな問題を抱えている。ここでは、自衛隊の航空幕僚長の発言について、私が感じたいくつかの研究しなければならないことは次の通りである。

まず、「言論の自由」や「表現の自由」が、ある役職を持った人にどの程度、制約を与えるかという点である。普通に考えると、自衛隊は軍隊で、背広組の命令に従うことをもってその任務としているので、制服の空将が、学問的、政治的な発言を自由にできるというのは、今までの「ぼんやりした」自由の概念からは少し違和感がある。

つまり、制服は戦いに全力を注ぎ、過去の戦争が正当だったかどうかは、歴史学者が研究し、国民が判断し、そして政治が表明するもののように思われる。

しかし、「自由」を舶来で得た日本ではまだ未経験の分野だ。

次に、日本の過去の戦争について、その直接的な犠牲者がかなり減ってきたことや、記憶がうすれてきたので、そろそろ本格的な議論をすべき時期であると思う。この事件の背景には戦争についての冷静な研究が遅れていることにも関係している。

つまり、戦前、戦時の日本の行為が「国際的に悪いこと」であるかは即断できない。もし「悪い」と決まっているなら、イギリス、オランダ、スペイン、ポルトガル、アメリカ、フランスはすべて国際的に活躍するなら謝罪が必要となる。

悪事もレベルがあるなら、これらの国はその範囲と時間的な長さでは極悪人である。極悪人が謝罪しないで、微罪の人だけが罰せられるとするとこれは正義ではない。

第三に、この問題は自衛隊を軍隊としない日本国民の曖昧さが基本的な問題である。日本人は厳格な議論をせず、曖昧に物事を決めるので、軍隊を持つとまた面倒なことになるという日本人の直感がこのような大きな矛盾を抱えたまま、国を運営しているが、これをどのように考えていくのか。

大きな課題であり、しかも緊急である。

そして、守屋元防衛次官の時もそうであるが、NHKは「検察が逮捕したときや、処罰されたときに初めて罪が生じる」という報道を続けているが、善悪を判断するのは国民であり、そのためには「事前に情報を国民に提供する」ことが求められる。

相撲の不祥事、守屋氏、そして今度の航空幕僚長、いずれもある程度の報道をしていれば、国民が判断したと考えられる。その意味で、報道が「官製」であることの意味は大きい。

(平成20114日 執筆)