環境は包括的に考えなければならない。それは当然のことだが、それを「レジ袋とNHKとどちらを止めるのが環境に良いのか?」という設問から初めて見た。

これで3回目だが、予想以上に本質に切り込める。その原因の一つにレジ袋という対象があるだろうが、もう一つは「対論」の相手の先生にご登場願っていることだ。今回も個人的な批判にならないように注意して問題点を探っていくことにしたい。

今回から「対論」の記事の2段目に入る。

「エコバッグは、そのために消費者ができる取り組みの一つです。」とある。「そのため」というのは「環境負荷を減らすため」である。つまり、「エコバッグは、環境負荷を減らすために、消費者ができる取り組みの一つです。」となる。

エコバッグが環境負荷を減らすことになるか、現在の環境学では学問的に証明できない段階にあることはすでに書いた。また、「消費者ができること」という範囲をどのように設定するかについては、次の機会に「ゴミ出しが指定袋になれば」というところでまとめて解説をすることにする。

さて、次に「果物を一個ずつ包むなど、日本ほど過剰な包装をしている国はほかにありません。」というところだ。

「日本ほど過剰」と記載されているが、この文章には「製品と包装物の適正な量的関係」という見地が抜けているように思う。日本の場合、前回、示したように製品とプラスチック包装の関係は465:1だが、これが適正かどうかの研究はまだ見たことはない。

だから、「過剰である」というのは、単なる感覚にすぎず、学問的な裏付けは無いと私には思われる。適正比率が判っていれば「適正比率の何倍」という言い方が望ましい。

次に、「日本しかない」ということだが、世界で果物を一個一個包むのは日本しかないかも知れない。私も何となくそう思うが、私はデータを持っていない。

「日本しかない」ということはそれ自体で、「適切ではない」ということだろうか?日本は世界の中で、列車の時刻が正確であることで知られる。日本は世界で10万人あたりの殺人件数がもっとも少ないグループの国である。だから、「日本の列車と安全は、不適切だ」と結論できるのだろうか?

「日本だけ」という理由で、列車の時刻が正確だからもっといい加減にしろとか、殺人数が少ないので、もっと多い方がよいという方向に日本社会を誘導するのはあまり感心しない。

このように「世界で日本だけ」というのが、適切か不適切かは、「日本だけ」だから不適切というのは決まらない。内容が不適切かどうかで決まる。

日本はGDP1億ドルあたり、原油換算エネルギー原単位が92トンと世界でもっとも低い優れた省エネルギー国家である。だから、おそらくレジ袋の消費は、「世界で日本だけ」という見地からは環境負荷に対して適切なのだろう。

最後に記事のこの段には「考えてみれば、エコバッグに、過剰包装した商品を詰めて持ち帰るのはおかしな話です。」とある。これは前後の文章から見て、「エコバッグ」ではなく、「レジ袋」なのだろう。

先生が間違えて発言されたか、記者が間違えたか、今度、北海道新聞の方にお会いする機会があったら、お聞きしたい。

また、この記事は「過剰包装」を問題にしているのではなく、買い物ごとにレジ袋をもらうか、エコバッグを使うかということであり、第一、この記事とは関係がない。

二重包装がいけないということから言えば、果物が包装されていれば、レジ袋でもエコバッグでも「おかしな話」になるからだ。

ところで・・・

個人的には、果物を包装し、それをエコバッグに入れるのは適当では無いと感じるかもしれない。でも、包括環境学ではどうだろうか。

その果物は産地からスーパーまで、延々と船やトラックに乗って運ばれてくる。 傷物を売りたくなければ輸送中の包装は必要だ。包装しなければ傷になる確率が高い。

もし果物が一ヶ200円、包装資材が1円なら、商売としては包装して運搬してくるだろう。傷がついたら100円でも売れないからだ。

さらに、スーパーまで運搬に使った包装資材を、スーパーで外して消費者に販売するより、そのまま販売した方が消費者が家まで持ってい行くには便利だし、手間もかからない。

もし、節約するとして、包装資材を回収して生産者の方にリサイクルすると、そこまでの運搬のエネルギーがかかり、さらに、果物の一部が包装資材に付着しているので、包装資材は薬品で厳密に消毒が必要である。だから、何か特別の手段がなければ運搬時に使用する包装資材を繰り返し使うのは難しい。

この論点「エコバッグに、過剰包装した商品を詰めて持ち帰るのはおかしな話です。」というところは、どうも矛盾点が多いので、記者にお聞きしてからもう一度、取り上げてみたい。

(平成20113日 執筆)