私は環境の話をしていると、ときどき中世のヨーロッパの小話を思い出します。

ローマ帝国が滅びた後、ヨーロッパは長い「中世」と言われる時代に入りました。ヨーロッパ中世のすべてを説明することは到底出来ないのですが、人間の精神面で言えば、「抑圧された時代」と言わています。

もともと、イエス・キリストのキリスト教はそれほど自由を束縛したり、まして人間の心を閉じ込めるようなものではなかったのですが、その教えが余りに巨大だったので、それを人間が咀嚼して理解するのに1000年ぐらいかかったと言うべきなのでしょう。

その間、人間の心が閉じ込められたのです。

つまり、人間は自分の力や思考能力にすっかり自信を失い、何でもかんでも、聖書にはどのように書いてあるのか、アリストテレスはどういっているのかと言うことばかりが気になっていたのです。

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あるとき、若い僧侶が太陽を見つめていると、何か太陽の中に黒い点があることに気がつきました。彼はそれを自分で理解することが出来なかったので、早速高僧のところに出向き、次のように言ったとされています。

「一つ教えていただきたいことがあります。私がジッと太陽を見つめていると、どうも黒い点のようなものが見えます。あれは何でしょうか?」

質問を受けた高僧は、

「そうか、早速調べてみるから、待っていなさい」

といって教会の中に入っていきました。そして程なくして出てくると、若い僧侶に、

「つぶさにアリストテレスの書籍に目を通したが、そのような記述はなかった。だから君が見たという黒い点は、君の目のシミだろう」

と言ったのです。

もちろん若い僧侶の見た太陽の黒い点は、太陽の黒点でした。だから現実的に存在するのですが、現に目の前にあるものより、書物に書いてあることを信じるというのがヨーロッパ中世の考え方だったのです。

人間に自信が無くなった人は、自ら考えることを止め、タダ「偉い人が言ったことや書き残したもの」を頼りに生きるのでしょう。

現代の環境問題は本当に似ています。

リサイクルが環境に良いかなどはまったく考えず、「容器包装リサイクル法」にどう書いてあるのかだけに関心があり、頭を使ったり、自分に思考能力があるなど考えて見みないような人に会います。

著者が2007年に環境問題についての疑問を書いた書籍を出版したときに、おおよそ半分ぐらいの人が、この太陽の黒点のような反応をしました。「お国が決めたことにたてつくのか!」というのはまだ良かったのですが、傑作なのは「ペットボトルはリサイクルしているっ!」という反撃でした。

現実にペットボトルがリサイクルされているのかどうかは関心がなく、「リサイクルされていることになっている」、「お役所はリサイクル率が60%といっているじゃないか」と言うのです。

まるで「アリストテレスに書いてある」という論理で、アリストテレスのような偉い人ならまだましなのですが、リサイクル率の計算などゴマカシが書いてあるのですから、現代も困ったものです。

現代、日本にも「ルネッサンス運動」がいるのでしょう。「環境ルネッサンス」というのを初めて、「自分の頭で環境を考えよう」と呼びかける方が、「あなたには何が出来ますか?」と思考を停止する中世型運動より良いのかも知れません。

(平成201027日 執筆)