50年後の日本の孫たちには「三つの危険性」に見舞われる。

一つ目は、地球が温暖化して日本に大きな被害が来るという可能性だ。50年後だからIPCCの予測では、気温は世界平均で0.7℃から2℃付近である。これで日本はどの程度の被害を受けるだろうか?

二つ目は、石油と食糧の不足による打撃である。よく知られているように日本のエネルギーの自給率はほぼ0%、穀類自給率は27%である。だから、何も考えなければ50年後の子孫は、寒さに震え、飢えに苦しむことになる。

三つ目は、工業の崩壊だ。すでに高等学校での物理の履修率は10%近くになっており、若者は製造現場、つまり3K職場を嫌っているし、うち続く環境報道で「製造」に夢が持てなくなっている。

自動車会社は機械工学であり、電気会社は電気工学であるが、日本がこれらの工業を失っても豊かな生活を送ることができる要因を探すことは難しい。

現在の日本政府の政策、環境専門家の意見をそのまま延長すると、この3つの被害を同時に日本国民はかぶる可能性が高い。その時に、現在「節約しろ」と言っている人はその責任をとれるのだろうか?

一つ一つ、その理由を明らかにしたい。

まず、温暖化であるが、私自身は温暖化による被害は少ないと見ているが、温暖化脅威論の立場に立つと、日本は温暖化によって厳しい被害を受けるとされる。もし、それが本当だとすると、CO2の排出を削減しても、温暖化の被害を食い止めることはできない。

何故かというと、今のIPCCの計算通りであれば、50年で1℃程度の気温上昇は「直ちにCO2を半分ぐらいにする」ということ以外に避ける方法がないからだ。

しかし、直ちにCO2を半分ぐらいにするということは不可能だから(道徳的には可能)、結局、温度が上がって被害が及ぶことになる。従って、これを防止するにはCO2を出さないようにするのではなく、温暖化が起こるときに生じる被害を未然に防ぐ社会を作ることだ。

つまり私の「台風対策論」であり、台風をボートにのって止めることはできない。止められなければ窓に釘を打つしかないと私の本にたびたび書いているが、そうしないと台風の被害をまともに受けてしまう。

現在の政府や温暖化脅威論の人の対策は「CO2の排出は人為的なものだから、人為的なものであるが故に、温暖化自体を防ぐことができる」という論法だ。

しかし、IPCCの計算を見ると、すでに21世紀初頭のCO2濃度で外挿すると、1℃程度の気温の上昇が確実だから、もうすでにそのレベルに達していることになる。削減しても当面は気温の上昇を避けることができない。

「人類の罪」のような道徳的なことを言っていても、被害は来る。その被害が来たときに「これは天罰だ」としてそのまま受け取るより、未然に防ぐことが出来るなら、防いでおいた方がよい。

第一に、海水面の上昇だが、これは10センチ程度なので、現在の4メートルの日本の海岸防御から言えば、問題が無いだろう。仮に数メートルの上昇の可能性があるなら、堤防工事が必要だ。

第二に、食糧に対する影響だが、これは気温上昇に適した作物への転換を積極的にやり、害虫などの対策を講じて置くことだ。また穀類自給率が27%なので、もともと、何を問題にするかの議論をしておくことだろう。

第三に、疾病の増加だが、血管系の病気の減少があるので、差し引きをすれば熱中症などの影響は少ないが、それでも、熱中症の予防のための具体的な指導や、公共施設の整備、さらに、マラリアなどは日本より温かい国の例を見習うことができるから対策は容易である。

そのほか、高山植物が減少するなどの問題点が指摘されているが、重要順に対策を打っておくことだろう。

問題は、CO2を削減して産業の力が落ちると、日本は資源がなく、人口密度が高いので、国債競争力を失い、「温暖化は来たけれど、対策を打つ力はない」という状態になる。

警戒すべきは、CO2を削減するという方向自体だろう。

(平成201021日 執筆)